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小説|青い目と月の湖 20

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 私にも素朴な疑問があると言って、マリエルが伸ばした手を、ハンスは半ば驚いて見上げた。
 マリエルが積極的に自分から発言するのは初めてのことだったからだ。

 いつものように机の椅子に座り、テーブルの方へ体を向けていたクロードが、右手をすっと差し出して言った。
「はい、どうぞ」
 マリエルはニコリと笑って、ハンスに言う。
「ハンスはよく私と遊んでくれるし、ここに食糧を運ぶ仕事もしてるけど、学校にはいつ行っているの?」
「学校?」
 ハンスは顔をしかめ、クロードの顔をチラッと見た。
 そしてすぐにマリエルに戻し、答える。
「学校なんかないよ」
「ないことはないだろう」
 クロードが口を挟む。
「いつでも村長の家に行けば、勉強は教えてくれるよ。午前中なら何曜日でもいいんだ。でも町にあるような学校の建物はないよ」
「いつでもいいの?」
「うん。行っても行かなくてもいいんだ」
「行かなくていいという訳じゃないだろう」
「もう、煩いなあ、クロードは」
 マリエルは首を傾げ、ハンスからクロードに視線を移した。
 クロードは苦笑いをした。
「原則として、週に二度は授業を受けに行かないといけない決まりがあるらしい。毎日行ったって怒られやしないが、まあ二日くらいが妥当なんだろう。村では働いている子供も少なくないから。特に家が農家で、子供がその後を継ぐことになっていたら、学校で勉強をするよりも家で手伝いをする方がいい勉強になる。ただそんな場合でも最低限の勉強は必要だからね」

 マリエルは頷き、ハンスに顔を戻す。
「どんな勉強をするの?」
「読み書きと、あと算数とか、歴史とか。マリエルはどうなの?ずっと一人なら、マリエルだって学校なんか行ったことないでしょ?」
「ええ。母がいた時は母に教えてもらっていたわ。今は一人で本を読んでるの。うちの書斎には沢山本があるのよ。多分、一生かかっても読みきれないくらいあるの」
「そんなに?」
「ええ。壁全体が本棚で、上の方は梯子を使わないと取れないんだけど、そんな高い所の本は、ほとんどまだ読んだことがないわ」
「書斎っていうか、図書室みたいだね」
「あら、そうね。その方が合っているかもしれないわ。だって机は置いてないの。椅子があるだけで。昔は多分、本当に書斎だったんだと思うけれど」
「なるほど。あの城には図書室があったのか」
「ええ。物語ばかりでなくて、百科事典や、算数の本なんかもあるの。数学の難しい本にはまだ手が出ないわ。私がよく読んでいるのは童話とか……少し子供っぽいわね。でも母から毎日、何でもいいから本は読むように言われていたから。毎日読んで、字の練習もしているの。私、人と話をする機会がなかったから、とにかく物語は沢山読んだの。だって、いざ人と話す時に、言葉を忘れていたら困るでしょう」
「そうだね。マリエル、僕と初めて会った時、とても喋りにくそうにしてたよ」
「やだわ、言わないで。だって、本当に緊張してたのよ、あの時」
 マリエルは恥ずかしそうに笑い、そして今度はクロードに質問があると言った。

 クロードは先ほどと同じように「はい、どうぞ」と返した。
「クロードは、どうしていつも黒い服ばかり着ているの?」
 ハンスはすかさずに言う。
「魔法使いだからに決まってるじゃない」
「あら、どうして?そういう決まりがあるなんて、私知らないわ」
「そもそも貧乏だから、そんなに沢山服なんか持ってないんだよ」
「おい、ハンス。いい加減に答えるんじゃないよ」
「だって、そうじゃないか。冬のコートだって、春のコートだって、一つしか持ってないんだから。僕ちゃんと知ってるんだよ」
 クロードが少し落ち込んだ様子で二人から視線をそらしたので、ハンスは面白くなって続けた。
「村からは食糧しか支給されないから、クロードはほとんど現金を持ってないんだよ。それで時々、旅の行商人が来た時に、森でとった薬草なんかと交換で靴とか下着を買ったりするんだ。ね、そうでしょ、クロード」
「はいはい。そうですよ」
「村で買い物するのは気乗りしないんだよね。でもこの間、僕の母さんから着替えにって、シャツをもらったんだ。ね、クロード」
「はいはい。感謝してます。まあ、子守り、、、の報酬としては安いもんだろうがな」

 ハンスはむっとして、テーブルの上に置いた皿の中のアーモンドを一粒手に取ると、えいっとクロードに投げつけてやった。
 クロードはそっぽを向いていたくせに、さっと手を伸ばしてそれをキャッチしたので、ハンスは悔し紛れに「ふん!」と鼻を鳴らした。
 マリエルは二人のやりとりを微笑ましげに見ていた。
「ねえ、でも、黒い服なのはどういう訳なの?」
「汚れが目立たないように」
 クロードがアーモンドを投げ返してきた。
 ハンスは手でキャッチできずに頭で受けて、アーモンドはテーブルの上に転がった。
 ハンスはぶつぶつと文句を言いながら、自分の頭を撫でた。
「もっと切実な理由はあるよ。大抵の魔術師は黒っぽい服しか着ない。それは自分たちの仕事が、人の生き死にに関わっているからだ。私たちの手に負えなかった状況で、その場に派手な服装でいるのはひんしゅくものだからね」
「……そうね。私ったら、判りきった質問をしてしまって、ごめんなさい」
「何も謝ることはない。ハンスの言ったのも、あながち間違ってはいないし」
「ほーら」
「仕方ないだろう。魔術師なんて、町から町へ渡り歩いている旅人のようなものなんだ。衣装ばかり増やすわけにはいかないんだよ。コートなんか一つで充分だ」
「はいはい。そうですね」
 ハンスがふざけてそう返事をすると、クロードが椅子から立ってつかつかと歩いてきた。
 ハンスも慌てて立ち上がり壁際に逃げた。
 逃げた所で狭い部屋なのですぐに捕まった。
 クロードに羽交い絞めにされて、床から浮いた足をバタバタさせる。
 そんな風に遊んでいる二人の状況にそぐわない、淋しげな声が聞こえた。
 
「クロードも、やっぱり、いつかは旅に出るのかしら」
 ハンスはぐいっと顔を上に仰け反らせて、クロードの顔を見た。
 クロードも下を向いて、ハンスと顔を合わせた。
 そして二人は、同時にマリエルを見る。
「まあ、いつかは出て行くかもしれないね。今のところ予定はないし、この村は今までの土地に比べると居心地がいいから、出て行きたいとは思っていないよ。ただ、何かトラブルが起きれば、すぐにでも追い出されるかもしれないな」
 クロードが真面目に答えたので、ハンスも淋しくなった。
「行かないでよ、クロード」
「まあ、せいぜい気を付けてはいるつもりだが」
「真面目に仕事をしていれば、追い出されたりしないよ」
 クロードは思わずといった感じで、鼻で笑った。
 少し困ったように、優しくハンスの顔を見下ろしていた。
 それを見て、ハンスはますます淋しくなった。

 自分も、昔はクロードに出ていけと言ったのだ。

 クロードが真面目に仕事をしていても、出て行けと言う村人は出てくる。
 役立たずと言ったり、偽者だと言ったり。
「マリエルは、クロードが出て行ったら淋しい?」
「もちろん、淋しいわ。だって……、やっと出来たお友達だもの。ハンスに会えなくなるのも、クロードに会えなくなるのも、淋しいわ」
「そうだよね」
「マリエル。村に住むことは考えてみたかい?」
「え?」
 
 クロードの質問に、マリエルは驚いた声を出した。
「私がもし出て行っても、村に住めばハンスといつも会えるよ」
「え、ええ。そうだけど、まだ、考えていないわ。私、あの城が好きよ。月の湖も好き。一人でいるのは淋しいけれど、私にとって、あそこが一番落ち着く場所だというのも本当なの。それに、母の思い出もあるし」
「そうだね。無理強いする訳じゃないんだが、村人に見つからないように出入りするのも大変だろうと思ってね」
「ええ。でも、北の森には誰も入って来ないし、こちら側の森では、ハンスと一緒に歩かないようにしているし」
 クロードが確かめるようにハンスに顔を落とした。
 ハンスは上を向いたまま頷いた。
「そうだよ。誰かに見つかったら困るから、距離を開けて歩いてここまで来てるんだ。賢いでしょう?この家に入るのも、ちゃんと周りを確認してるんだから」
「ああ、賢いな。だが、マリエル一人でも見つかるのは困るんだぞ?村にはこんなに綺麗なお嬢さんはいないから、すぐに誰だって噂が持ち上がるだろう」
「判ってるよ。気を付けてるって。それに、出来るだけ道を通らないし」
「木に隠れて歩くのか?」
「うん」
「お前は良くても、マリエルの靴じゃきついんじゃないかな」
 ハンスは聞いた。
「マリエル、きつい?」
「え、ええ、でも、最近は踵の低い靴を選んでいるし、慣れてるからそうでもないのよ」
「そうでもないって」
「そうか」
「ねえ」
「なんだ」
「いつまで僕のこと捕まえてるの?そろそろ離してよ」
 クロードは笑って、放してくれる前にぎゅっとハンスを抱きしめた。


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