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【韓国での話】バスで出会ったハラボジ (おじいさん)~日韓関係~

日本にとって地理的に1番近い国、韓国。
しかし、日韓関係は未だに良好には、遠い…。

日本にとって韓国は1番近い国だが、1番遠い国かもしれない。

Z世代は韓流ブームの追い風もあり、日本と韓国の壁すらも感じないかもしれない。

そして、新しい韓国の大統領は、日本と韓国の壁を打ち破る風となるだろうか?

【はじめに】

私が韓国に留学していたときの話。

私はソウルから地方行きのバスに乗っていた。私の隣りに1人のハラボジ(おじいさん)が座った。

バスで出会ったハラボジ(おじいさん)との会話の中で私は、ハラボジ(おじいさん)の考え方に深い感銘を受けた。

もし、日韓の長い歴史上の関係をハラボジ(おじいさん)のように考えられたら…。

日韓関係は少し良い方向に進むかもしれない。

【バスで出会ったハラボジ(おじいさん)】

「どこに行くのかね?」
と、ハラボジ(おじいさん)は私に尋ねた。

とても品があり、『お年寄り』という言葉は似合わないハラボジ(おじいさん)だった。

「友人に会いに地方へ行くんですよ。」
と、私は答えた。

「名前は何というのかね?」

私の名前を聞いたハラボジ(おじいさん)は細い目を少し大きく開いた。

「日本人かね?」
少しの沈黙が流れた。

ハラボジ(おじいさん)世代(1945年以前の生まれ)の韓国人は日本にあまり良い印象を持っていなかった。反日派も多く、日本を敵視する人も多かった。

理由は、日本が韓国を統治していた時代(1910年〜1945年)、日本が韓国に対して必要以上に抑圧し、厳しい政策をしたからだった。

そのため、私のような日本人留学生は、ハラボジ(おじいさん)世代には、歓迎されなかった。

私の先輩や同期の日本人留学生の中には、ハラボジ(おじいさん)世代から罵声を浴びせられることもあった。

少しの沈黙の間、私は『もし、このハラボジ(おじいさん)に罵声を浴びせられても仕方ない…。』と、考えていた。

「わしも日本語の名前を持っているんじゃよ。」
少しニッコリとしたハラボジ(おじいさん)の顔を見て私は、心なしか『ホッ』とした。

「わしの世代は皆、日本語の名前を持っておる。学校で日本語も習った。今は忘れてしまったがの…(笑)。」

「わしの世代は、日本に恨みを持っている者も多い。だが、わしは違う。」

私は、ハラボジ(おじいさん)の話を静かに相づちをしながら聞いていた。

「わしは、時代が悪かったのだと思っているんじゃよ。日本が韓国を統治する時代。ただ時代が悪く、人々はそれに従っただけの話だ。」

私は、『ハッ』とした。

ハラボジ(おじいさん)は、誰かのせいにしたのではなく、時代のせいにしたからだ。

人は鬱憤があるとき、誰かのせいにすることが多い。誰かのせいにすることで、相手からの謝罪などで鬱憤を晴らそうとするからだ。

例えば、
韓国が苦しんだのは、日本のせい:反日派
国民が苦しんだのは、国の政治のせい: 反政府

私は、このような考え方は自然だと思うし、仕方ない事実だと思う。

ただ、ハラボジ(おじいさん)は、時代が悪かったのだと物事をわり切ったのだ。

そのため日本に対して敵意をもったり、恨んだりしていなかった。

「日本は韓国に厳しい統治もしたが、同時に韓国を豊かにした。小さなこの国を…。そのお陰で、わしの2人の息子は、1人は警察官、もう1人は消防士になれた。」

私はハラボジ(おじいさん)の曇りない瞳に吸い込まれるようだった。そして、心では涙がポツポツとこぼれ落ちていた。

なぜか?

ハラボジ(おじいさん)の潔さと考え方に感銘を受けたからだった。

「お、着いたな。」
と、ハラボジ(おじいさん)が腰を上げた。私は、バスを降りるハラボジ(おじいさん)に手を振った。

私は、その時どんな顔をしていたのだろう…?
ただ、一生懸命に笑顔をつくり、熱い涙をこらえていた。

【おわりに】

日韓のつらく長い歴史は変えることはできない。

私が知り合った韓国の友人も
「日本人は好きでも、日本という国は好きにはなれない。」
と、言っていた。

いつか日韓の両国が共に良好な関係だと言える時代がくることを願ってやまない…。

【おまけ】

日韓関係をわかりやすく解説。
日韓関係に興味がある・知りたいかもと思う方におすすめな動画。


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