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【NZで妊婦生活編②】稽留流産が判明してから

【NZで妊婦生活編】は初妊娠からの海外での流産、再度の妊娠、
出産について、私の実体験と情報共有をしています。

【NZで妊婦生活編①】は以下をどうぞ

今回の【NZで妊婦生活編②】では、流産の診断を受けた後に起こったことを個人の体験として共有します。

***

クリニックで稽留流産を告げられた日、
赤ちゃんを子宮から出す必要があるということ、
その方法は2つあるから選んでほしいと言われた。

①病院に行って手術をするか
②自然に赤ちゃんが出てくるのを待つか(自然排出)
どちらも嫌だけど、選択しないといけない。

補足:ニュージーランドでは③薬で排出を促すという選択肢もあるそうです

とりあえず、近日中にオークランド病院からフォローの電話が入るから、
その電話がきたらどうしたいか伝えてほしい と言われた。

クリニックで診断を受けたのが木曜日だったが、
次の日の金曜日になっても電話が来なかったので、
週末にゆっくり考えて決めようとおもっていた。

どんな選択をすればいいのか、分からなかった。
もう助からない赤ちゃんの命をどう扱ったらいいのか、
心拍のない生き物とはいえ、長いこと大事に想っていた命だ。
簡単に決められることではない。

同じニュージーランドで流産を経験した人達は
どうやってこれを乗り越えたのかー
何かにすがる思いでGoogle検索を始めた。

そこで出会ったのがこのNoteだった。
前から知ってはいたけど、しっかり閲覧したのは初めてだった。
とっても内容の濃い情報が集まっているサイトではないか・・

ありがたいことに流産を経験した人々が、体験談を綴っている。
特にニュージーランドで同じような経験をされた人たちの文章は
心強かったし、とても心を打たれるものがあった。
文化も言語も違う国、家族も近くにいない中での流産。
彼女たちの言葉の力はとんでもない威力だった。私の涙腺は崩壊した。

ああ、自分だけじゃないんだ とすごく勇気づけられたし、
不安な気持ちが少しだけ軽くなった。
楽しい内容ではないし、きっと文章化するのもキツかっただろう。
それでもこうやって情報を残してくれている。本当に有難かった。

私も気持ちに余裕ができたら自分の体験談を残そう、そう思った。

もし海外で流産を経験したばかりで(勿論国内の方でも)
この文章を読んでくださる方がいたとしたら、
私がほかの方に励まされたように、少しでもお役にたてたら嬉しいです。

*** 

(ここから先、内容がセンシティブな描写となります。
苦手な方は読まないようにしてください)

さて、話は戻りー
今後どうするのかの選択をしようとしていた週末。
その矢先、急に土曜の夜になってお腹が痛くなり始めた。

寝ようとするが寝られない。きつい生理痛のような痛みが続く。
事前に自然排出のことを調べてはいたので、どんなことが起こるのか
把握はしていたものの、緊張が身体に走り、冷や汗が出始めた。

だんだん痛みが強くなりトイレに駆け込んだ。

あぁ、赤ちゃんとのお別れが近づいているんだ。
そう思いながらトイレでうずくまる。
頭では理解していた。
これは要は陣痛と一緒なんだと。

お腹の痛みと出血、悲しみ、発熱、冷や汗、
全てがぐちゃぐちゃになり、自然と涙が出てくる。

なんでこんなことになってしまったんだろうか。
やっぱり自分のせいなんだろうか。
あの時無理したからなのだろうか。
感情が高ぶり、罪悪感でいっぱいになる。

そんな中、嬉しかった思い出も頭をよぎった。
妊娠が判明した日のこと、
初めてのエコー検査で赤ちゃんの動きが見えた時のこと、
母親に報告した日のこと、
夫の家族にお祝いしてもらったことー

全ての出来事が遠い昔のように感じた。

産んであげられなくてごめんね
お母さん、何もしてあげられなくてごめんね
でも、あなたのこと絶対忘れないよー

トイレでお腹の痛みに耐えながら、
私は何度も赤ちゃんへ無言で語り掛けていた。

だんだん痛みと冷や汗がひどくなり、貧血なのか意識が飛びそうになった。
うめき声と泣き声が混ざった悲惨な声を心配した夫が、
救急車を呼ぼうかとトイレのドアの前で焦り始める。

救急車、呼ばないでほしい!と思った私は救急車を断った。
赤ちゃんとの最後は二人きりでいたかったからだ。

代わりに、
・何かあった時のためにトイレのドアの前で待っててほしいこと
・意識を保つために、数分に一度声をかけてほしいこと
・水を持ってきてほしいこと
この3つをお願いした。

多分トイレに籠って30分以上は経過していたと思う。
ひどい痛みと出血と共に、小さな赤ちゃんらしきものがでてきた。

正直、本当にそれが赤ちゃんだったのか分からなかったけど、
ティッシュに包んでしばらく眺めながら泣いた。
ぼろぼろになった自分のことなんて、もうどうでもよかった。
泣きすぎて腫れた目をこらしながら、最後のひとときを一緒に過ごした。

私の場合は、選択の余地なく自然排出となったが、
手術をしないでよかったと思っている。
あの場になって、二人きりでいたいと分かったし、
手術のために病院に行く→帰る 
に必要なエネルギーは使い果たしていたから。

数日後、助産師さんとオークランド病院からのフォロー電話がきた。
オークランド病院から電話が来たときには、
自然排出してしまったので手術の必要がないことを伝えた。

後日、妊娠ホルモンの数値が下がっているか血液検査をした。
子宮の中にいた赤ちゃんの身体の一部や、組織が残っているとよくないので
その確認のための血液検査だった。
GPから数値が下がっているから大丈夫だねと言われたときは
心から喜べなかったけど、次の生理が来るときまでには
心をなんとか切り替えて、次の妊娠へと気持ちを向けるように努力した。

今でも会えなかった子供への気持ちは消えない。
ちゃんと健康に産まれてきてくてくれていたら、
女の子だったのかな、男の子だったのかなと思いにふけることもある。

あの数週間という短い期間、お母さんのところに来てくれてありがとう。
幸せな妊娠期間をくれてありがとう。
心の底からそう想っている。

***

稽留流産を告げられた1年後、私はニュージーランドで出産をした。
あの過酷な自然排出をした日から丁度一年後、息子が産まれた。

これまた大変な出産だったのだけども、それはまた別の機会に。

長文を読んでくださった方、ありがとうございました。

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