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この時代に生きるアラサーに1番必要なこと

「多様性」が叫ばれている今、私たちはどう生きていけばいいんだろう。

私の母は、もっぱらバブル時代経験者。
OL時代にちょうどバブル期だったそうで、毎晩のようにディスコに行き、円高も相まっていたため友達と海外旅行に行き、いくつもルイ・ヴィトンやプラダ、シャネルのバッグを購入し、同僚たちとマウントを取り合い(笑)、父と結婚し寿退社して専業主婦になった。
私が初めてその話を聞いたとき、私が生きている世界線とはまるで真逆にいるような話だった。
時代が違うだけなのに、こんなにも状況は変わるのか?と驚愕した。

母は、バブル時代が母にとっての「普通」だったから、これからもこんな時代が続くのかと思っていたと話していた。

母が30年以上前に買った高級バッグは、今私がありがたく使わせてもらっている。(笑)

同じ年齢・性別・国籍でも、時代が違うだけで、考え方は180度変わるだろう。
バブル期を生きていた母と、不景気・コロナ禍・円安・物価高を生きる私と、考え方が一緒なわけない。
それもまた面白い。

無職になり、実家に戻ったことで母と会話する機会が多くなった。
その中で、私は一つ、気づいたことがある。

毎日のように会話している中で気づいたのは、母は自分の人生に満足していないということだった。
人生の内容がどうであれ、満足する・しないは本人の考え方次第であるし、挫折ばかりの私でもこの人生に大いに満足しているのだから、本人次第だとはわかっている。
だから、その人が他人から見てどんな素敵な人生だろうが、本人が満足できないと意味がない。

一つ引っかかったのは、母の一言だった。
「私はおばあちゃん(母の母、私から見て祖母)のために結婚したし、子供を産んだ!」
それなのか。
母が自分の人生に満足していないのはそこなのか、と。
四捨五入して60年生きて、大きなアクシデントもなく、不自由なく生きてきたように見えて、その長い長い60年に満足できていない理由はそこなのかと。

それは、
「自分の生き方を自分で決めていない」
ということだった。

先月のセブ等留学で出会った仲間は、自分より年下がほとんどだった。
それも、かなり離れている年下。
前職では年上としか関わることがなかったから、年下との関わりはは新鮮だったし、6~8個下の仲間達がたくさんいたから、面白かった。
知らなかった流行りのSNSとか、大学生の実情とか。
年下の仲間達と話すことで私が感じたのは、年齢関係なく、彼ら・彼女らに対して「尊敬」の気持ちを感じた。

みんな、私が彼らの年齢の時よりだいぶしっかりしている。。。
なんでそう感じるんだろう?と考えてみたら、あることがわかった。
それは、
「自分の人生を自分で決めている」
ということだった。

もちろん、家庭やお金の事情で自由に自分の人生を決められない人も多いことはわかっている。
好きなように生きることができるのは、至高の贅沢だ。
母も、母の父(私の祖父)の病気のせいで、大学に通えなかったと今でも嘆いている。
環境は自分で簡単に変えられるものではないとも思う。

でも、まず、それを抜きにしたら?
環境とか、周りの事情とか全部取っ払って、まず、自分の声を聞いて、本音を探して、自分は何がしたいの?って聞いてみる。

母は、祖母に「早く結婚しなさい」「早く孫の顔を見せなさい」と言われたから、結婚・出産の選択をしたと言った。
周りの誰かの軸で動いたから後悔しているのだと思う。
祖母にそう言われたから、自分の意思はどうだっけ?と一旦立ち止まって考えることをせずに、「そうしなければ」と行動したのかもしれない。


自分の意思で決めて行動する人は強い。覚悟がある。
「こうしたい」っていう自分のお腹から湧き上がるエネルギーで、行動しているから、多少嫌なことがあっても乗り越えられている。

セブ島で出会った年下の仲間たちも、そんな感じがした。
英語を勉強したくて来た。
親に言われて来た、って人なんて一人もいなくて、自分の意思で大学を休学して来た人、公務員という安定した仕事を辞めてまで来た人、大学に行く道を選択せずに高校を卒業してすぐに来た人。
みんな強かったし、希望に溢れてて、キラキラしてた。

私だって、ずっと親の言うことが全てだと思ってたから、自分の人生を自分で決めるなんて怖くて仕方なかった。
何度も過去を変えたいと思った。
あの時あの選択をしていなければ・・・
あの時遠慮しないで本音を言えていたら・・・
そんなこと、幾つも思いつく。
でも過去は変えられないなって気づいて、キリのない思考を終わりにした。

母も、祖父の病気のせいで大学に行けなかったことや、祖母の言いなりになって結婚したこと、出産したこと、そんなのもうリセットできない。
今からやり直すことなんて絶対にできない。
人生の選択は、そのときにしか選択できないものの方が多い。

でも・・・
過去の後悔を受け入れて、もう呪縛から放たれて、今を生きることはできないだろうか?
30年以上前のことを永遠に愚痴り続けるより、今どうするか考える方が必要なのではないか?

根にもつ、と言うことは、永遠にその呪縛の中にいることのような気がする。
そんなの、悔しい。一度後悔の残る選択をしただけで、人生が終わるなんて。
できるだけ早く呪縛から抜け出すことが重要なのでは?
過去の後悔をずっとしていても変わらない。

今、今、今、何をしたいか?今後何をしたいのか?
これまで他人軸で考えていたら、自分で選択することが恐ろしいことのように思える。
他人軸で生きた方が楽だし、人に変に思われることもないし、プライドも保てる。
失敗しても自分に絶望することもないし、リスクが低いと思えるから。
世の中で良いと思われることをやっていれば、失敗したときに慰めてもらえる。

私が無職になったことを、母はよく隠そうとしている。
見栄のためか、他人の目を気にしているのか。
田舎だからしょうがない。かもしれないけど・・・

私は、誰かの意見じゃなくて、自分の意見でこの人生を決められたことを誇りに思っている。
でももし、誰かの勧めだったとしても、結局は自分で決めているのだから。
過去は戻らない。でも、母が後悔している「学歴」とか、「結婚」「出産」とか、今そこまで関係あるのかな?
というか、なぜそこまで執着しているのかな?
母が望む「学歴」があれば、母は何をしたかったのか。
母が「結婚」「出産」をしなければ、母は何がしたかったんだろう?
そもそももう、「学歴」「結婚」「出産」に縛られる年齢でもないのではないか?
60歳で学歴があれば有利になることも、結婚や出産で不利になることも、ないのではないか?
本当に嫌なら、今からでもそれらへの執着を全部捨ててしまえばいいのでは?

今からでも人生は変えられるのに・・・
「学歴」がないから無理、「結婚・出産」のせいでお金がないから無理。
それはもう変えられない。
母は、大学に行っていれば・・・とよく言っていたが、なぜ大学に行きたかったのかは話していなかった。
大学に行くことがゴールで、ステータスで、ただ飾りとして欲しかったのかなと思う。
その学歴を使ってしたかった仕事があるわけではなく、その学歴がないとできないことがあったわけではないと思う。
執着は、単なる思い込みなのかもしれない。

この時代を生きるのは大変だ。
でも私が見つけたのは、「自分の生き方は自分で決める」ことの大切さだ。

人と違う選択肢を選んだとき、私は本当に怖かった。
失敗することへの不安、後悔することへの不安、一文なしになる不安、馬鹿にされる不安、きつい言葉を浴びせられる不安、嫌われる不安・・・
でも、案外そんなことはなくて。
案外他人は他人のことを考えていないのだと思う。
私が無職になったって、「へぇ〜」「いいね〜」としか言われない。
陰で何を言われているかは知らないけど、表に出さないなら全く問題ないしありがたい。(笑)
自分が考える最悪なことって案外起きなくて、なんだかどうにかなる。
それなら飛び込んでみたい。
自分の生き方をちゃんと自分で決めて、過去の後悔なんかどうでも良くなるくらい、自分の人生におっきくはなまるつけよう!!!







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