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カント全集17教育学

20240410

人間とは教育されなければならない唯一の被造物である。

教育
・養育(養護・保育)
・訓練(訓育)
・人間形成をともなった知育

動物は、自らの様々な能力の規則に従って使用する、換言すれば、自らに危害を加えないような仕方で用いるのである。例えば、卵から孵化したばかりで、まだ目も見えないツバメのひなが、自分のした糞を巣から外へ落とす。したがって、動物は養育を必要とはしなくて、一種の保護を必要とするにすぎない。確かにたいていの動物には飼育が必要ではあるけれども、しかし養育は必要ではない。

訓練または訓育は動物性を人間性に転換してゆく。動物は本能によって行動できるが、人間は本能を持っていないので、自ら、その行動プランを立てなければならない。しかしながら、人間は生まれ落ちてすぐにできず、全く未開で未発達のままこの世界にやってくるのだから、他の人が代わりに行動プランを立ててやらなくてはならない。人類は人間性のあらゆる自然素質を、自らの努力によって徐々に自己自身の中から引き出してこなければならない。訓練とは、人間がその動物的衝動によって自らの本分である人間性から逸脱しないように予防することである。例えば、訓練は、人間が激情に駆られたり思慮を欠いたりして危険をおかすことがないように人間に制約を課すことになる。したがって、消極的なものであって、つまりは人間から野性的な粗暴さを取り除く行為に過ぎないのである。

それに対して、知育こそ教育の積極的な部分なのである。

野性的な粗暴さとは、人間性の規則に拘束されないことである。しかし、訓練は人間を人間性の規則に従わせ、人間に規則の強制力を感じさせ始める。それゆえに、こうした訓練は、子どもの頃から早期に行わなければならない。そこで、例えば、子どもはまず最初に学校に送られるが、それは必ずしも学校で何か(知識)を学んで欲しいと思っているからではなく、むしろ静かにしたり指示されたことをきちんと守る習慣を身に付けるために、将来子どもが思い付いたことを何でも実際に、そしてまた直ちに実行に移すことのないようにといった意図からなのである。

もともと人間は自由を求める極めて強い性癖を持っているので、僅かでも自由に親しむと、自由のためにすべてを犠牲にしてしまう。

そうだからこそ、既に述べたように、訓練は、子ども期のごく早い時期から行われなければならないのである。というのも、そうでないと、成長したあとになって人間を変えることは困難だからである。早期に訓練を受けていない場合には、人間はどんな気まぐれで身勝手なことでもやってのけてしまう。人間はその子どもの早い時期から理性の指示に従うことに慣らされなければならない。子どもに自らの意志のままに気ままに生活することが許されて、しかもその時にいかなる抵抗にもあわなかったとすれば、人間はその生涯を通じてある種の野性的な粗暴さを持ち続けるであろう。

上流階級の人たちを教育する場合には、そうした人たちは支配者になることが既に決まっているので、子どもにおいても決して本当の抵抗を受けないということが一般的な弊害となるのである。

人間は養護と人間形成を必要とする。 人間形成訓育と知育を含む。われわれの知る限りでは、いかなる動物もこれらを必要とはしない。
というのも、鳥がそのさえずりを学ぶという事例を除外すれば、いかなる物から何かを学習するということはないからである。このさえずりに関する限り、鳥は親鳥から学習する。

人間は教育によってはじめて人間になることができる。人間とは、教育が人間からつくり出したものに他ならない。ここで注意すべきなのは、人間は人間によってのみ教育されるということだ。同じように教育を受けた人間によってのみ教育されるということである。

教育学ないし教育論は、自然的であるか実践的であるかのどちらかである。
自然的教育とは、人間と動物に共通しているような教育、すなわち、養護のことである。
実践的教育ないしは道徳的教育とは、それを通して人間形成が行われて人間が自由に行為する存在者として生活できるようにするための教育に他ならない。
実践的教育は、人格性のための教育であり、換言すれば、自立して社会の構成メンバーの1人となり、さらに自己自身の内的価値を持ちうるような、そうした自由に行為する存在者を作り出すための教育である。

実践的教育
①熟達した技能に関する学校教育的=機械論的人間形成から成立してそれゆえに知識伝達的である。
②実用的人間形成から成立している。
③道徳性に関する道徳的人間形成から成立するのである。

人間は、自らのあらゆる目的をうまく達成するようになるために、学校教育的人間形成ないしは知育を必要とする。この学校教育的人間形成を通して、人間は自己自身について個人としての価値を持つことになる。

実用的人間形成を通して、人間は市民にまで形成されて、そこで公共的価値を獲得することになる。その場合に人間は、自らの意図にもとづいて市民社会に働きかけるとともに、また自らを市民社会に適応させることを学ぶわけである。

最後に、道徳的人間形成を通して人間は人類全体にかかわる価値を獲得するのである。




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