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1) 父の絵

ふるびた集合団地の一室。リビングに敷かれた緑色の絨毯に親子の影が伸びる。

9歳の頃、父から小遣いをもらって絵のモデルになっていたことがある。

11月の気持ち良く晴れた日曜日。窓の外には黄色く茂った銀杏の並木と、うろこ雲、どこまでも透明な青い空が広がっている。

やわらかな午後の光がはいる窓際に椅子をおいて腰かける私。2メートルほど離れた場所にイーゼルを立て、キャンバスに向かう父。

「カサ、カサ、シュッ」

じっと遠くを眺める次男の姿を、乳白色の画面に木炭で彫るように描き込む。鋭いまなざしは、次男の輪郭、陰影、質感を感知する。

そして静かに手を動かし、我を忘れたように絵の中に没入していく。

姿勢を保ったままで動かないでいることは難しかったけれど、普段あまり話さない父に無言で見つめられることは、ふたりだけの特別な儀式のようで嬉しい時間だった。

夢中になって絵を描く父の姿は、憧れの対象として私の記憶に刻み込まれている。父の絵はどれも動いて見えるほど生命感があり、描いた時の心のありようが伝わってくる。

なかには観ていると目が離せなくなる絵もある。19歳の父が画家で生計をたてることを目指していた1966年に描いた、「聖歌隊」というタイトルの絵だ。

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厚塗りの油絵具、赤黄緑黒の暗く重たい色調。不安げにうめく人々。

中央には虚な目をした青年が立っていて、画面外にむかって弱々しく何かを訴えかける。

嘆きおびえる人々から出る負の感情のようなものが、圧力となって絵をみる私に迫ってくる。

思春期の父が世界に対する絶望を直視して具現化した絵。

父はなぜ自らの絶望を、これほどまでに直視して描いたのだろうか。

同じ年頃の自分はどうだったか? 芸大受験に失敗して、2年つき合った彼女に振られた頃だ。世界が自分をまったく評価しないことに腹を立てていたが、父のように絶望はしていなかった。

父はキリストを信心していた訳ではなかったが、ときおり酒に酔い、冗談めかしてこんなことを言った。

「神は死んだ」

しかし一方で、心踊るような明るい絵もある。私がとくに好きなのは、新婚当時に母を描いた一枚だ。

スピード感のあるタッチ、背景の淡い水色と唇のピンクが響きあう。光あふれる画面からは、新妻をまえにした青年の心の高まりと、生きている喜びが伝わってくる。

キャンバスの下地がはんぶん近く残った、キラキラと光る宝石のような未完成な絵。それはまるで女神をまえに歓喜している、彼の心そのもののように見える。

絵を描く父に影響をうけた19歳の私は、河川敷の風景や花を描いた鉛筆デッサンを見てもらったが、父から褒められた記憶はない。

父と私の絵では線一本から違っていた。

何枚も何枚も、友人や自画像を描いたが、父のような生きた線を引くことはできなかった。

「どうやったら、おとんみたいに自信のこもった線をひけるようになるの?」

「何枚も描くことや。でもな、別に絵やなくてもええねん。おまえの興味が向いたものを全部やってみたらいい。手を動かして、汗をかいて物を作るんや。やったらわかる」

「ふだん話す言葉以外に、自分の本心を表現する自分だけの言語をもつことで、おまえの人生は豊かになる」

絵に興味をもった息子をみて、父はそう言って喜んでいるようだった。

20歳になった私は芸術と言われるものに触れていくなかで、目の前をそのまま絵にする写真に惹かれるようになっていた。

私は心が動いた時にシャッターボタンを押せば良いだけだ。自分のなかに消えずに残っている風景。友人や恋人との親密さ、ひとりでいる時の孤独、感情をかき乱す出来事。

そんな目の前を写真にしたい。忘れたくない目の前を組み合わせることで、私の人生が物語になると思った。これなら父に褒めて貰えるかもしれない。

買ったばかりの一眼レフカメラから、撮影済みのフィルムを取り出し、ぎゅっと握りしめた。



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