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【村上春樹】80~90年代の春樹を思うと、ただそれだけで哀しくなってしまう

これは初老の男の独りごと。

私がまだ大学3年だった頃。
1991年。
東京の紀伊國屋書店に友人と行ったら
店頭に、アメリカの作家
レイモンド・カーバー全集の
第1巻が平積みされていました。
『頼むから静かにしてくれ』
翻訳・村上春樹。
中央公論社・発刊。
今の廉価版ではなく、
箱に入っていた方です。

友人たちは、タイトルが笑えると 
言って小馬鹿にしてました。
でも、私はこの翻訳本が
後々、大好きになりました。
村上春樹は、作家である以上に
翻訳者として才能豊かだと
思うことがあります。

この4年前(1987年)には
『ノルウェイの森』が出ていて、
村上春樹の地位は一気に
上がってました。

とはいえ、まだ初期三部作が
アメリカポップカルチャーの
手先だなんて誤解されてた頃。
 
先鋭的な春樹ファンは
かなりいました。
大学の文学サークルの同人誌を
パラパラ見たら、半分以上は
春樹モドキな文体でした(笑)。
みんなパクってる~。

でも作家や出版界はまだ
オールドファッション好きな
お堅い人が多くて、
春樹に反感を持つ人が
多数派でした。

『ノルウェイの森』の次に出た
『ダンス・ダンス・ダンス』は
前作と違って、シュールな
ミステリー仕立てになりましたが、
バブル経済に浮かれた本だと
けっこう非難があったのを、
よく覚えています。

あの頃は村上春樹は
何を書いても翻訳しても
叩きたい人に叩かれていました。

今でいうキングコング西野亮廣
みたいな感じでしょうか?

いや、あの頃の村上春樹には
西野信者みたいな視野の狭い
ファンは いませんでした。
春樹はもっと孤立した気高い存在。

それに、当時はネットはなかったから
村上春樹がどれだけ、
バッシングの不条理さに
歯をくいしばっていたのか、
読者は作品を読み通すことでしか
春樹の内面を知るよしはなかった。

謎めいた孤立の作家、村上春樹。
その頃、春樹はずっと日本から逃げ
海外にいて、創作してたんですよね。
詳しくはエッセイ集『遠い太鼓』に
書かれていますね。

今の西野亮廣が未来、
村上春樹のような国民的作家に 
なっているかどうか
それは分かりません。

ただ、西野はもう陳腐な頂点感が
だだもれしてるんですよね(笑)。

でも、1980年代の村上春樹は、
いつも哀しいオーラ、気配を
漂わせていた気がします。
孤軍、孤独、悲愴、切なさ。

それがまた、後の作品群の
原動力に、また影響力に
なっていったんでしょうね。

あの頃の村上春樹のことを思うと
ただそれだけで無性に切なくなる…。

あの時代に青春を送れたことは
本当に幸せなことでした。

以上、50のおじさんの昔話でした。



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