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【文学は無用か?】自殺した作家の文学は有害なのか…

この世には耳が痛い言葉がある。
「書淫」「書痴」という文字は
あまり見たくない言葉だ。

本ばかり読んで
他のことは怠るなり、
疎かになってしまう愚人。
世間知らず、現実知らず、
という意味も込められていそう。

だから「書痴」とは
はなはだ、耳が痛いのです。

思えば、父親や祖父や伯父には
文学、特に純文学みたいな
本は読むな、
自殺した作家の作品は
読まないようにしなさい。
もっとためになる本を読みなさい。
そう、私は中学や高校で
さんざんシツケられて育ちました。
太宰や芥川は読まぬよう
厳しく明言されて、
かわりに、読むよう渡されたのは、
昭和時代の自己啓発本の
第一人者、加藤諦三さんの
人生に勇気をくれる系の本でした。

今の私の本棚を見たら、
死んだ父も祖父も、
あまりに衝撃やら怒りやらで、
黄泉の国から駆け付けてくるに
ちがいない(笑)。

親に固くシツケられた反動でか?
本ばかり読む世間知らずに
なってしまったなら、
父や祖父のシツケは失敗である(笑)。
教育の失敗とも言えそう。
 
もしも子供さんが
あまり本を読まないと
かこつお母さんがいたら、 
この反動制シツケを
実践ならるのはどうでしょうか?

読むなとシツケられるほど
本好き、さらには書痴に
なってしまうかもしれない。

いや、言葉を鵜呑みにして
本は読まない子供さんに
なってしまうかもしれない(汗)。

それにしても分からないのは、
子供さんを本好きにしたがる
親御さんがたくさんいることだ。

私にもし子供ができたら、
本より運動好きな子供に育てたい。

運動と読書を両方好きになるなら
それがいちばん良いでしょう。

どちらかひとつを選べと言われたら
運動好きな子供がいい。
それは私がとんでもないレベルの
運動音痴として、
恥の多い人生を送ってきた、
からかもしれない。

それにしても
読書は決して100%立派で
素晴らしい行為ではない、
ということを、
書淫、書痴、という言葉は
改めて教えてくれる。

たまに思い出すようにしよう。
それから、父や祖父には
謝っておこう。
あなたたちがいちばん
なって欲しくない「書淫」に
私はなってしまったようだから(涙)。


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