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【太宰治】好き過ぎて、生家「斜陽館」に怖くて行けなかった?

私は太宰治の大ファン。  

今から30年前、
歳は20、21才の頃、
私は青春18キップで、
東北に出かけました。

花巻では宮沢賢治ゆかりの場所を、
遠野では柳田国男ゆかりの場所を、
見て回りました。

関西の海辺育ちには、東北は、 
伝統的な古き日本の姿に見えました。

さあ、次はいよいよ津軽、
太宰治の故郷、金木町の斜陽館だ!

でもなんだか、気持ちが重い。
花巻あたりから薄々感じてた。
なんだろう?斜陽館へ向かうのは
どうも荷が重いなあ。

太宰作品の特徴は、
「私が一番よく太宰を理解してる」
「太宰は私をよくわかってくれる」
なんて、奇妙な、1対1形式の、
恋愛みたいな感情になりやすい。

こうした感情は、
漫画家・大島弓子さんも、 
そのファン心理は似ていますね。

ファン同士とわかっても
簡単には仲良くならない。
互いに、太宰ワールドの理解力が
本物かどうか、探る、探ろうとする。

だから、
自分以外の太宰ファンと話して、
そうやすやすとは意気投合したり
共感し合うことは難しい。
ちょっと面倒くさいなあ、
私も(笑)。

あれは独占欲かな?
ちょっと異状なファン心理です。

たぶん、斜陽館に行けば、
当時はカフェもあったから、
そこで熱烈な太宰マニアと
顔を合わせる羽目になる。

それがなぜだか、
複雑でウザいというか、
わかってない二流マニアに
浅い太宰愛を語られ、
聖域を汚されたら、どうしよう?
となるんです。

いや本当は、私の太宰の理解力や
太宰愛を遥かに超える「本物」に
会うのがこわかった。
私の太宰の理解力が浅いと
論破されたらどうしよう、
見破られたらどうしよう、
そうビビってただけ。

結局、私は弘前まで行きながら、
金木町行きの電車に
乗り換えることはしなかった。


青森から電車でそのまま、
弘前を過ぎ、日本海まで行った。

日本海の深浦という駅で
ぶらりと降り、
駅からしばらく歩いた居酒屋さんで
晩御飯にした。

お店の息子さんが
カウンターで算数のドリルを
解いていたので少し手伝ったら、
青森らしい見事なリンゴを
少年は一つくれました。

太宰治の斜陽館は、
今は記念館になり、
すごく入りやすいそうです。

今はもう「独占欲」的な視野で
太宰を読むほど青くも若くもない。
今なら、素直に斜陽館に行けるかな。

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