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農業は最高の創作活動だ!

創作ってかっこいい

僕は昔から、「創作」とは何か、「没頭」とは何か、ということをしきりに考えて生きてきました。

これだけたくさんの種類の生命が存在する地球上で、なぜ人間だけが作品や商品を通して自我を表現しようとし、モノづくりに没頭するのか、幼心に不思議で不思議でたまらなかったんです。

そして、小さい頃から音楽と絵と文学が大好きだった自分にとって、そうした表現活動に全身全霊で取り組むミュージシャンや画家たちは、畏敬の念を抱く対象でもありました。

「この人たちは、生物が持つ根源的な欲求(睡眠欲・食欲・性欲)を差し置いてまで一見意味のないプロジェクトに文字通り命を賭けて取り組んでいるけど、一体全体どうしてなんだろう? でもなんかメチャクチャカッコいいな」

当時の気持ちをなるだけ短く言語化すると、こんな感じじゃないかなと思います。

モノづくりに没頭する人たちは、有名無名を問わず、僕にとってウルトラマンや仮面ライダーに代わるヒーローそのものでした。だから、そんな彼らの生き様に影響を受けていた僕自身も、思えば小さい頃から常に何かに没頭し続けてきました。

僕の創作遍歴

例えば小学生の頃は、レゴのお城シリーズ。

特に低学年の頃は、お年玉とお小遣いの全てをシリーズのコンプリートのためにつぎ込んで、一度完成させた説明書通りのお城を全部元の単体のブロックになるまでバラバラに解体して大きなダンボール箱へと一緒くたにぶちこみ、また一から世界にひとつだけのオリジナルのお城を組み立てることに夢中になっていました。

ある真夏の暑い日の昼下がり、室内気温が異常に高くなっていることに気づかず、窓を開けるのも忘れ、扇風機のスイッチを押す手間すら惜しんでお城づくりに熱中していたら、次第に頭がぼーっとしてきて、鼻血を出して卒倒。汗だくで顔面血だらけになりながらぶっ倒れてるところを両親に発見され、後でこっぴどく叱られたりするくらいののめり込みぶりでした。

中学に入ってからは、音楽とベースギター。

親戚のおじさんに古いベースギターをもらったことから音楽の面白さに目覚め、レンタルCD屋に足繁く通っては、ジャンル関係なく棚の左端から右端まで全てのアルバムに一通り目を通して、気になった作品をまとめてレンタルしてきては大量のMDに録音する日々を送っていました。

特に、その中でもベースラインがグッときた曲は何度も繰り返し聞きながら耳コピ。バンドを組むことにも当時はさほど興味が沸かず、休みの日は大抵ひとりで部屋にひきこもって、お経を唱えているお坊さんのごとく、無心で同じベースラインを何時間も弾いていました。

大人になった今はというと、没頭する対象が農業に移っただけで、根幹的な部分はほとんど何も変わっていないように感じます。

が、仕事となるとその没頭行為にも責任が伴うようになってくるわけで、一旦肩の荷を下ろすために、別の対象に没頭したくなる時がたまにあります。

事実、5月末の今時期、畑では草刈りと草取りをしていて、その他にも来たるべき収穫期に向けた段取りを組んだり、新商品を製造するための準備をしたりで、正直ブログを書いてる暇はないのですが、にも関わらず、晴れた日曜日の朝っぱらから、僕は目の前に山積したタスクを全て放り出して、部屋の真ん中に座ってパンツ一丁であぐらをかきながら、膝の上に置いたキーボードを一心不乱に叩いているわけです。

なぜ創作は自分にとってそこまで大事なのか


ここで冒頭の話に戻りますが、(自分自身の行動原理を正確に掴めているわけではないけど)創作と没頭は、僕にとって睡眠欲・食欲・性欲の次に大事な、生きていく上で欠くことのできない「欲」そのものなのかもしれない、と最近では思うようになりました。むしろ僕の中で性欲は割と優先順位が低い気がするので、上位3つにはそれほど大差はないものの、あえて順位をつけるとしたら

  1. 睡眠

  2. 食事

  3. 創作と没頭

  4. 性行為

となるでしょう。

ここで、なんでそこまでして創作と没頭が必要なの?という話になってくるかと思いますが、僕の場合

創作と没頭がないと、精神が崩壊するから

これに尽きると思います。

自意識をこじらせ過ぎた痛い中坊のようですが(笑 

つまり、僕の場合、楽しいから好きなことをやっている、あるいは、誰かに認められたいから日々の仕事に取り組んでいる、と表現するだけでも、半分は嘘になってしまいます。

僕にとって、創作と没頭は、息抜きとか、他人へのアピールとか、カッコつけとか、そんな生易しいものではなく、「やらないと死んでしまう」くらいに、切実なレベルで必要なものなのかなと。

有名どころでいうと、音楽ならカート・コバーン、絵ならゴッホ、文学なら宮沢賢治など、僕が強烈に心惹かれるクリエイターたちは皆、魂を削ってまで創作活動に身を捧げた、あるいは現在進行系で身を捧げている人たちばかり。

幼少の頃と変わらず、今でも彼らはの生き様は最高に美しいと思っているし、やはりそういう人たちの苦悩や葛藤が伝わるエピソードに触れると、(自分ごときがとてもおこがましいことを言っているのは承知の上で)なんらかのシンパシーを感じずにはいられません。

きっと、人間には誰しも、やるせなさや満たされない気持ちに打ちのめされて傷ついた心を癒やす対象や行為が必要なんだと思います。僕が尊敬するクリエイターたちにとっては、それが創作と没頭、つまり音楽であったり、絵であったり、文学であったりしたわけで、僕自身にとっては農園の仕事であったということだと思います。

できれば死ぬまで創作し続けたい!

願わくば、このまま好きなことに没頭し続けて(好きなことを続けていくためにやらなければならない面倒くさいことは勿論やるつもりですが)人生最後の瞬間までをなんとか逃げ切りたい、というのが僕の本音です。

死ぬ前に「あ〜、好きなことを好きなだけやれたから、我が人生に一片の悔いもねえわ〜、良かった〜」と思いながら逝けたら、この上なく最高でしょう。

ちなみに、ぶっちゃけた話、僕は元々農業に対する夢や憧れや期待なんてこれっぽっちも持っていなかったし、今でも、人様の役に立ちたい一心で日々土作りをして木々を育てて商品を作っているというよりは、あくまでも自己満足のためにやっているんですよね。

自分が心底納得のいくものを作り出すことが僕にとっての至上命題なので、その舞台が農園であることに強いこだわりを持っているわけでもないし、人様に喜んでもらう云々は正直言って二の次三の次です。(もちろん、そうは言っても天塩にかけて作った商品は子供みたいなものなので、誰かの役に立ったり、喜んでもらえたりするこの上なく嬉しいんですが)

で、やはり大多数の人に気に入られようとするあまり自分の心に嘘をついてまで当たり障りのないつまらんモノを作るのは一番くだらないことだと思うので、そこだけは一線を超えないように気をつけつつ、でも仕事である以上は世間のニーズや将来の社会情勢も細目に調査しつつ、「自分の我を通す8割」対「世間のニーズに合わせる2割」くらいの感覚で、相反するふたつの要素を無理やりにでも擦り合わせていくのが今の理想のスタイルかもしれません。

そんなわけで、そろそろここらへんで締めの言葉を書きたいのですが全く思いつかないので、今日はここまで!🤣

農園のブログでは、日々の作業や出来事の記録意外に、普段感じていること、思っていることもちょくちょく文章にしていますので、また機会があれば覗きにきていただけたら幸いです。

それでは! 

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