おじいちゃんと絶叫マシーン
昨年末に102歳で天国へと旅立ったわたしの祖父は、超がつくほど孫を可愛がり、孫を大事にしてくれる、優しい優しいおじいちゃんだった。
家族はみな、祖父が大好きだった。
葬儀では、わたしは泣き崩れ、ほかの孫・ひ孫たちも大号泣。
102歳という大往生だった祖父を前に「おじいちゃんが死ぬとは思わなかった…」と、悲しみを共有した。みんなおじいちゃんをスーパーおじいちゃんだと思っていたからな。
どんなに元気で、どんなに明るくて、どんなに優しいおじいちゃんでも亡くなるんだ…当たり前のことなのに、どこか現実味がわかなくて、ただただ茫然として、涙がとまらなかった。
あれからもうすぐ49日。
祖父は、何度も夢に出てきてくれた。きっと、あまりにも悲しみにふけるわたしに、そばにいるよと伝えてくれているんだ。
同じように祖父が大好きだったいとこもnoteに思い出を書き始めた。ほんと、孫娘にモテモテなおじいちゃんだったな。
わたしもまた、思い出話をひとつ、今日は書き留めておきたい。
ここからは’おじいちゃん’といういつもの呼び名で。
***
おじいちゃんは、昔から子どもが大好きで、わたしたち孫とも本当によく一緒に遊んでくれた。
初めて赤い三輪車を買ってくれた帰り道、当時はよくあった4人がけのブランコに二人で乗った。ニコニコしながらブランコをこいでいるおじいちゃんの姿が、鮮明に思い出せる。
近くの大きな公園のボートにもよく乗った。おじいちゃんは、「すごいだろ?」と言いながら、楽しそうにボードをこいでくれた。
長年水泳をしてきたおじいちゃんは、プールや海が大好きだった。高齢になってからも泳ぎ続けていたおじいちゃんは、わたしたち孫を連れて、近くのプールや海に沢山連れて行ってくれた。
小学校6年生のときに、おじいちゃんと行ったプールで、特別コーチをつけてくれて、25m泳げるようになったことが卒業文集に書いてある。
あの頃から、わたしに大きな影響を与え、卒業文章にまで登場していたおじいちゃんの存在感。本当にすごい。
中学1年生くらいのとき、いとこといとこの子ども(当時6歳くらい)とわたしとおじいちゃんで遊園地に行ったことがあった。
わたしは絶叫マシーンが大好きだったので、どうしても絶叫マシーンに乗りたかった。
だけど、わたし以外に乗りたそうな人がいなかったので、しばらく我慢していた。
もうすぐ帰ろうというとき、入口付近にある回転する乗り物が目にとまり、どうしても乗りたくなった。
「おじいちゃん、わたしどうしてもあれに乗りたい!ひとりで乗ってくるから、ここで待っていてくれない?!」
孫娘大好きなおじいちゃんの反応は驚くものだった。
「いや!ひとりで乗せるわけにはいかない。おじいちゃんも一緒に乗ろう!」
「え・・・おじいちゃん、あれは怖いと思う。激しいと思う。やめたほうがいいと思う!!」
わたしは、ドキドキしながら伝えたが、
「だいじょうぶだ!!」
おじいちゃんは、サッサとチケットをスタッフに見せ、座席に乗り込んだ。
当時すでに80歳超え。超元気なおじいちゃんとはいえ、80歳超えが乗る乗り物ではない。
わたしはドキドキしながら、おじいちゃんの顔を見ながら座席についた。おじいちゃんの顔も緊張しているようにも見えた。
乗り物が動きだす。最初はゆっくりと動いていたが、次第にわたしとおじいちゃんが乗っている部屋が回転し出す。頭から回転するやつだ。
わたしは、楽しいと思う余裕もなく、おじいちゃんのほうを心配しながら見つめていた記憶がある。
80歳超えのおじいちゃんが頭からクルクル回る乗り物に乗るなんて…大丈夫なの、おじいちゃん!!
早く降りたい、どうしよう!!
そんなドキドキした気持ちで乗っていたので、とても長い時間乗っているように感じた。
乗り物が止まり、おじいちゃんの顔を見る。
「リコちゃん・・・大丈夫か?」
「わ、わたしは大丈夫だけど…おじいちゃん大丈夫?」
「大丈夫だ!!!!」
そう元気に答えるおじいちゃんだったが、さすがに足取りがふらふらとしていて、とても心配になった。
「と、とめる暇もなく乗っちゃったから…心配した」
いとこが心配そうに出口で待っていた。
「どうってことない。リコちゃんが楽しめたならそれでいい!」
中学1年生のわたしとおじいちゃんが、一緒に絶叫マシーンに乗った。
どんなときでも、全力で遊んでくれたスーパーおじいちゃん。
あのときは、わたしもドキドキしたし心配したけれど・・・全力で可愛がってくれて、遊んでくれて、どんなときでも大切にしてくれたことが嬉しかった。
忘れられない思い出だ。
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