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どこまでいっても私が愛するのは自由だけ

自由人、といえば聞こえは良いですが
自分のことは社会不適合者だと思っています。

あらためて自由人という言葉を調べてみると

何ものにも強制されず自らの運命を自分で決めることができ、思いのままに生きる人もしくは人々(奴隷と対置)。

wikipedia

だそうです。

自分自身はまだ思うままに生きられていないなぁと思うので、やはり社会不適合者のほうが今の自分を表すのに合っている気がします。

さて、そんな私ですが、結婚やパートナーというものについて考えることがあります。
結婚しないの?と稀に聞かれるのですが、
「一回はやってみたんですけど、向いてなかったですね。」
というようなお返事をすることが多いです。

向いてない、はたぶん正しくて現状の日本で生活するに当たり、思い浮かぶ標準的な家庭を運用していくのは無理だろうなと思っています。
じゃぁ一生パートナーと呼ばれる人はいらないのか?と聞かれるとそういう訳でもありません。
拠り所になる人が、そばにいてくれたらいいなとは思います。
ただ、結婚には社会的な役割を求められることが多いので、それに適合するのは難しい。
そして適合しなくてもいいよ!大丈夫!自分も勝手にやるから!
というタイプの方は、そもそも結婚をしないという選択をすることが多いのではないでしょうか。

なぜならば、その価値観を説明して、理解されることの時間や労力がかかりすぎるからです。
大多数の人に理解されないことがわかっているので、それを説明して、感覚を理解してくれるひとと出会い、結婚するまでのステップを踏んでいくのは砂漠の中で探しものをするような感覚です。

他にやりたいことがたくさんあるから、見つかるかわからないものに時間を使うより、楽しいことに割いたほうがいいよね。
となってしまうのです。

それでも、帰る場所があればいいなと思います。
好きなことを見つけると、すぐにどこかへ飛んでいってしまうわたしを待っててくれる。
そんな場所をずっと探しているのかもしれません。
そして、同じように自由な誰かの帰る場所になれたらきっと、幸せなのだろうなと思います。


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