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コーネリアスに#metooを −<平坦な戦場>の戦争責任−

 DOMMUNEが大晦日にコーネリアス特番をやる。その一報を聞いたときは「やっと頭のはっきりした誰かがきちんとあのことを語ってくれるんだ」と、なんだかホッとしたような気持ちになった。あの夏からというもの、僕はずっと頭のどこかにモヤモヤした感じが残り続けていて、ネットで繰り広げられるさまざまな言説を目にしてみても残念ながら誰の語る言葉もすっと腑に落ちるようなものではなかった。自分として思うところもあったにせよ「僕のような外野が何を」という気持ちが拭えなくて、なんだかこれでは偉そうな物言いにはなってしまうのだけれど、これまで何かを主体的に発信するようなことは控えてきた。
 それで大晦日は仕事などいろいろあって年が明けてからになったけれど、ようやくアーカイヴでDOMMUNEを観た。まず前提として書いておくと、僕は宇川直宏という人を、表現者として、そして人としても勝手ながら信頼している。今回の件にしても、これはコーネリアスが有名だからやっているというわけではなく、彼はMixroofficeの頃から無名のアーティストに対しても同じ誠実さと優しさで接してきたのを実際に見てきている。そういう意味で僕は今回の特番を賞賛こそすれ揶揄する意図は毛頭ない。とても意義のある試みだったと思うし、番組中でも語られていた宇川さんの寝ずの作業に対しても一視聴者として慰労の念を表したい。

 ただ、結果から言うと番組を最後まで観ても僕の個人的な頭のモヤは晴れなかった。長時間に渡って語られたさまざまな言葉に対しての明確なNOというのはどこにもない。でも僕が足りないとずっと思っているところはここにはなかった。
 もちろんべつに僕のモヤを晴らすためにあの特番が開催されたわけでもないのでそれはぜんぜんかまわないのだけれど、多くの言葉を一度に聞いたせいであらためて頭の中でわんわんと考えが渦巻いてしまっている。小山田さんとは仕事で数度お会いしたことがあるくらいで(一度だけクリエイティヴについて1~2時間ほど膝を突き合わせてお話をしたことはあるけれど)、僕などは数多くの関係業者のなかの単なるワンオブゼムだ。外野が何をという気持ちは未だに強くある。でも、ちょうど今が正月休みだというのも何かの巡り合わせなのかとも思う。少し気は重いけれど、年初の手すさびとして駄文を書きなぐってみることにした。

(以下からは文中の敬称を省略します)



1. 戦争責任と鬼子のわたし

 僕があの夏の盛大なるバッシングを目の当たりにして頭に浮かべていたのはこんな映画のワンシーンだった。

(前段)走行中の観光バスの中。団体旅行に出かける男たちの会話。
中年 その点、今の若いもんはかわいそうだよ。
若者 どうしてよ?
中年 いや、わしらは大陸じゃイイ思いしとるからなあ。
若者 まーたおやじさん例の話だよ。(方々から呆れ笑いのヤジが飛ぶ)
中年 なにをいうか! わしらは行軍の最中でもモヨオシてきたらな、そこらに隠れてる 姑娘クーニャンをバッと引っ張り出してだ、銃剣バッと突きつけて、サッとやっちまったもんだ。ホント、ホント。(ニヤニヤしながら)そんとき背嚢と銃がな、カッタコン、カッタコン、音がする。
(皆が卑猥な笑いを浮かべる。それを聞かされていた若いバスガイドの女性は恥じらって手で顔を覆う。)

映画『女囚さそり第41雑居房』(1972年作品)よりセリフ書き起こし

 実際にこの映画を観てもらえればわかるのだけれど、このやりとりというのはちょっとした伏線になっている程度のものでメインのストーリーにはほとんど関係ない。意味があるとすればこの団体旅行の客が「よくいる一般人」であることの描写になっているくらいのことだ。
 つまり、先の大戦に行軍した帰還兵が戦後にレイプなどの蛮勇自慢をするというのは別にそれほど特異なことではなくて、当時のおじさんの「あるあるネタ」程度だったということなのだろう(「また例の話」という周囲からの呆れ声からもそれはうかがえる)。そういったおじさんもさすがに還暦に近づいてまで下衆な自慢はしなくなるとすれば、こんな愚挙が日常的に行われていたのも長くて戦後30年、この映画が公開された1970年代前半くらいまでのことだろうか。
 幸いにもまったくの戦後世代である僕自身はこんなレイプ自慢を聞かされたことはない。しかしこうして、それがフィクション作品だとしても「戦時下のレイプを反省のかけらもなく語る人」を目の当たりにすれば、当然だけれど腹立たしくもこの上なく恥ずべきだと感じる。もしそのような人物が実際にいたならば、それがもし過去の行状であったとしても今現在からでも罰したいと思うだろう。胸クソ案件とはまさにこのことだ。当時それを聞かされていた側もよくもまあ軽く受け流せたものだ。

 世間で起きたコーネリアス/小山田圭吾へのバッシング感情とはおそらく概ね僕がこの古い映画を観て感じた憤りに似たようなものだろう。渋谷系だかサブカルだか知らないがとんでもなく酷いことをし、それを嬉々として語っていた奴がいる。それがいくら過去のことであったとしてもいま現在において引きずり出してでも糾弾すべきだと。

 ただ、これだけではちょっと極端すぎるのでもうひとつ例を挙げてみたい。

 料理家として知られる小林カツ代は自身も空襲経験のある戦中生まれの世代で、彼女の父は大阪で商売を営んでいたが招集されて中国へ渡った。そして終戦後、生きて帰った父は中国で体験したことをよく家族に話して聞かせていたという。
 曰く、命乞いをする中国人に銃剣を突きつけまるで遊びのように妊婦や子供までも殺す上官を止められなかったこと。餃子や肉まんの作り方を教えてくれた中国人たちの村を焼き討ちするのをやめてくれと懇願して嘲笑されたこと。上官の命令であっても自分は気が弱くてひとりも殺せず、そのせいで上官からひどく殴られたこと。そのようなことを酒の力を借りて泣きながら話した(そして終生、睡眠薬が手放せなかったとも書かれている)。
 そんなカツ代の父は、毎年必ず戦友会の会合に出かけた。癌になり死期が迫っても、痩せこけた体で出かけていった。「なぜそこまでして行くのか」とカツ代が問うたところ、父の答えはこうだった。
 戦地で残虐な行為をした上官は戦後の日本で成功を収めて大金持ちになっていた。戦友会の場でもいちばんの上座にすわり、同席する誰もが彼の戦地での行状など口にしなくなった。それが私(カツ代の父)には許せなかった。だから戦友会に出席した時にはあえてその上官の隣に座り、小声で「夢に出えへんのか。よくあんな残酷な目に合わせたな」と毎年耳元で囁き続けるというのだ。そのためにどうしても戦友会に出るのだと。それは中国の人たちに変わって彼への罰のつもりで言うのだし、そしてそれは自分への罰でもあると--。

(小林カツ代Facebook 2019.8.15投稿を筆者要約)

 当初の拙速な報道から日が経つにつれ、どうやら事実は前者の例のようにまでは不埒なものではないということは徐々に明らかになっていった。けれど、だからといってこの後者の例が実情に近いのかといえばそうではない。今回のコーネリアスの件はこの極端な二例のうちのどちらでもない中間あたりに位置しているように思う。さすがにレイプをしない分別はあったし、中国人とはフラットに付き合っていたかもしれない。けれど、上官を追って「夢に出えへんのか」とまではやってない。そして、どうしたって戦争に加担した一兵卒であることには変わりない。

 僕がここでわざわざ戦争の例ばかりをしつこく出すのは、今回の件の「語りにくさ」がこの国の戦争責任の取れてなさにとても似ていると思うからだ。よく言われることだけれどこの国はあの戦争のことをどこか曖昧なままにしてきている。それは国家としてもだし、個人としてもそうだ。そしてそれが現在の国民感情に未だ嫌な影を落とし続けてもいる。西ドイツの大統領だったヴァイツゼッカーの言葉を借りるなら「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」というところだろう。

 かつてこの国では、レイプを得意げに語るような不届きな者も一部に存在した一方で、公の場では、多くの、ほとんどの、普通の帰還兵たちはみな戦後かたくなに口を閉ざした。それは、戦犯たちが戦勝国によって裁かれていった社会状況や、手のひら返しで世間から浴びる冷たい目線も含め、とにかく戦地を語ることを忌避させるのが<時代の空気>だった。そこでは「仲間の恥を晒すな」という同調圧力としての不文律もまた、戦地での実相がほとんど表面化しない要因となっていたと思われる。
 当の帰還兵としても、まずは死んでいった多くの戦友に対して自分だけが生きて帰ったことに申し訳ないという想いがあり、そして彼らの死を言葉で損ないたくないという想いも強くあっただろう。そのうえで社会常識も一変し、現人神は人間になり、自分たちが皇軍臣民として命を賭してきたすべてが「間違って」いて、それらはすべて「罪」であり「恥」であったのだ。彼らが語らなかった/語りえなかったその心情は察するにあまりある。

被害の体験は語り易いが、加害の体験は語り難い。しかし加害体験こそが戦争の真実、人間の弱さと恐ろしさを明らかにし、再び過ちを繰り返さぬための歴史の教訓を伝える。

 先の大戦時、中国人は蛮行を重ねる日本人のことを『日本鬼子リーベンクイズ』と呼んだ。上記の一文は、同名のドキュメンタリーフィルムの冒頭で示されるテロップだ。作中では年老いた元日本兵たちが重い口を開き中国大陸での非道行為を詳細に回想していくのだが、この作品がDVD化された際のキャッチコピーは次のようなものだった。

実に憎むべき、私であります。

 この「憎むべき、私」としての自分を認めること。それがどれほど困難であるか。戦時下の行為について振り返るときにたいてい口にされるのは「だって戦場とはそういうところだから」というエクスキューズだ。映画『ゆきゆきて、神軍』で奥崎謙三に詰め寄られた元兵士たちもみなそのような言い訳を繰り返していた。橋下徹が従軍慰安婦について語ったときもそうだった。人は自ら不利になるような非を進んで告白するなんてそう簡単にできるものではないし、その非の原因を軍隊や国、戦場という極限状態そのもののせいにしたいと思うのが人の さがというものだろう。どんな酷い戦犯でもさもしいエクスキューズならいくらかは並べられる。しかし戦争責任というのは、ひとりひとりがその極めて困難な「憎むべき、私」を認めるところからしか始まらない。

2. もうひとつの戦争責任

 僕は今回のコーネリアスの件についてもこれは同じことだと思っていた。DOMMUNEを観ながらもずっとそう感じていた。

 みなが戦友の(部分的な)冤罪を晴らしたいと思う気持ちは痛いほどわかる。彼が良い人だというのもきっと本当なのだろう。作品の素晴らしさについては言うまでもないし、彼がこのことで被った被害も決して相応だとは言えないとも思う。
 しかしそれでもなお、それがどれほど酷なことかを知りながらもそれでもなお、いま語られるべきなのは少なくともその前に、悪しき戦場を行軍した「憎むべき、私」についてではないのかと思うのだ。
 どれだけ当時の時代背景であるとかメディアの落ち度などを指摘できたとしても、どれだけ「やったこと/やってないこと」を精刻に切り分けられたとしても、それではBC級戦犯が不当な判決を受けた裁判で「彼は中国人から略奪はしたがレイプはしていない」としきりに弁護側が主張しているかのように見えてしまう。
(荻上チキがハンナ・アーレントに似た立ち位置から牽制し続けているのもこのことなのだと僕には思えてならない)

 いま何を語るかはすなわち、いまいちばんなにを希求しているのか/いちばんなにを痛ましいと感じているかの表れであるはずだ。だとすればそれは量刑の不当性ではなく(少なくとも順序としてそれはあとだ)、なによりもまずあの酷たらしい戦争の否定なのではないのか。そしてそれは「戦争が生んだ悲劇」などと象徴化して済ますことではなく、まずは「鬼子」であった「憎むべき、私」をきちんと十分に認めることではないのだろうか。それを「そんなことまで一兵卒に背負えというのか?」と思ってしまうという感覚こそが、この国の戦争責任の取れてなさの根っこにあるものなのだと僕は感じている。
 そしてさらにもうひとつ進めていうと、「憎むべき、私」とは「憎むべき、彼」のことではない。たしか宇川直宏が番組中のどこかで「潔白なやつなんてどこにもいないんだから」というような意味のことを口にしていたと思う。本当にそのとおりなのだ。コーネリアスがひとり十字架に磔にされ吊るし上げられているのを目の当たりにして僕が胸を締め付けられてしまうのは、僕が彼の音楽を愛聴しているからだけではなく、僕もまた同じ十字架に磔にされてしかるべき人間だからだ。

 『QUICK JAPAN』(95年8月発行vol.3)で村上清は記事の冒頭にこう書いた。「僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。」
 酒の肴にして盛り上がるかどうかは別としても、僕もある種の「すべらない話」のようなものとして、若い頃の仲間内でひどい内容の話をしてきた。そこには弱者に対しての禍々しい侮蔑や性的なものも含めた差別表現をふんだんに含んでいただろう。コーネリアスと僕とでなにか違いがあるとすれば、僕には才能や魅力がないので誰もそれを活字に起こさなかっただけのことだ。そして、つまりはそのようなエピソードを語れるだけの直接的/間接的な加害や加担や傍観をした経験が当然ながら僕にはあったということだ。明らかに僕もまた同じ悪しき戦場を行軍した「鬼子」としての一兵卒なのだ。もちろんコーネリアスや僕がいた戦場というのは国家間の戦争におけるものではなく、平時の日常に存在するありきたりな場所、岡崎京子が言うところの<平坦な戦場>のことだ。

 もし僕らが「90年代の世紀末を共に生き抜いてきた同志」でありえるならば、大人になる以前の70年代も80年代も、場所は違えど同じあの<平坦な戦場>を生き抜いた「鬼子」としても同志であるだろう。そしてその「鬼子」性というものは、根本敬などを知るはるか以前の小中学生のころからすでにしっかりと備わっていたはずだ。こんなところで言葉遊びをしている場合ではないのだけれど、僕らは誰に教わるでもなくそれを習得した「奈落の 鬼子クイズマスター」なのだ。
 だからこそ僕はもっとこの<平坦な戦場>について、自らを「鬼子」であった「憎むべき、私」として、背景を含んだ客体ではなく主体そのものとして認めていかなければならないのだと思う。それを「いじめなんてダメに決まっている」というような悪辣さの大元を後景化させた言葉を繰り出すだけでは、「戦争が生んだ悲劇」と同じく罪の象徴化にしかならないのではないかと深く危惧する。それよりも、同じ加害者として戦場にいたことを認めること。コーネリアスに#metooを掲げること。それが<平坦な戦場>を生きた者の戦争責任というものではないのだろうか。

 もちろん自分には加害の覚えがないという人もいるだろう。しかし、この戦争にまったくなんら関わったことのない「戦後世代」などじつは事実上どこにも存在しない。被害者を含め皆がみな学校という<平坦な戦場>をくぐってきている。戦場を知らない第三者の涼しい顔で糾弾/擁護できる人間などいるはずがないのだ。
 たしかに一度も戦闘や虐殺が起きなかった戦場もあっただろう。無事を願って千人針を縫っていただけの女性だっていただろう。それでもこの戦争はそれらを含んだ「総体」として無数の血を流しながら常に起きてきた。(そしてそれは昨年の旭川での事件のようにいま現在も起きている)

 この前提に立たない限りは、コーネリアスをめぐるこの一連の出来事は、いじめや差別意識について「再び過ちを繰り返さぬための歴史の教訓」をさほどもたらすこともなく、数奇なプロセスで起きた有名人ネットリンチのいち悲劇として局所的に回収されてしまうことだって可能になってしまう。

 もちろん番組中で今崎牧生が指摘していたように、安易に加害エピソードを流布するようなことは被害者にとってフラッシュバックを生むことになりかねない。僕はなにも文化大革命的な吊るし上げや、連合赤軍的な総括を求めているわけでは決してない。デジタル・タトゥーを自ら刻むということが個人にとってもはや自殺行為であることくらいは理解もしている。ただそれでもなお「過去に目を閉ざす者」にならないための方策は模索すべきなのだと思っている。

 そのためのケース・スタディとして、根本敬はさすがに高踏的というかある意味でハードルが高すぎると僕には思える。彼の描く世界は九相観(死体が腐乱していくさまをずっと眺め続ける仏教の修行)のようなもので、それが善悪の彼岸に触れるものではあるにせよ、素人がおいそれと手を出すには「劇薬」すぎる。
 それよりも、番組中では軽く触れるだけで通り過ぎてしまった岡崎京子『リバーズ・エッジ』にこそ、僕はなんらかの手がかりがもっとわかりやすく明確にあると思っている。


3. 『リバーズ・エッジ』の<平坦な戦場>


そして彼ら(彼女ら)はそのことを徐々に忘れていくだろう。
切り傷やすり傷が乾き、かさぶたになり、新しい皮膚になってゆくように。そして彼ら(彼女ら)は決して忘れないだろう。皮膚の上の赤いひきつれのように。
平坦な戦場で僕らが生き延びること。

(岡崎京子『リバーズ・エッジ』あとがきより一部抜粋)

 読み切り短編の多いマンガ家・岡崎京子の作品の中で、数少ない長編はそれぞれが作家の画期として位置づけられており、この『リバーズ・エッジ』もまた初期『pink』や(現状としての)後期『ヘルタースケルター』に並ぶ傑出した作品として高く評価されている。

 『リバーズ・エッジ』は、工場地帯と川辺がある程度に都心からは距離のある(なおかつドラッグが流通して芸能人が通える程度に近郊の)ありふれた街/学校で起こる高校生たちの日常のドラマだ。
 一見すると<平坦>とも思える高校生たちの日々。校舎、授業、友達との他愛のない会話、家庭科で焼いたクッキー、テレビの芸能人、勝手な噂話、欲しかったコスメ、などなど。しかしそこにはいつも薄皮一枚隔てるように、ドラッグ、暴力、ジェンダー、偏見、いじめ、過食嘔吐、援助交際、などの荒んだ事案が並行して横溢している。同時にそのような過酷な<戦場>でもあった。

 この作中には衆知のとおりコーネリアス/小山田圭吾を模したキャラクターが登場する。この<山田君>は、いじめっ子から何度となく殴られ、全裸にされ、掃除用具のロッカーに閉じ込められたまま放置され、教科書やノートをビリビリに破られるなど、執拗ないじめを受け続けている。そんな彼にはひとつ秘密があって、川辺の茂みでたまたま発見した白骨死体を宝物として大切にしていた。「この死体をみると勇気が出るんだ」と岡崎は作中で山田君に言わせている。さして美しくもないのに繁殖力だけはやたらと旺盛なセイタカアワダチソウが生い茂る川辺にある、誰のものだかもわからない死体。それが彼らの生きる<平坦な戦場>の象徴として物語の中心に据えられている。

 この<山田君>以外にも、ここに登場する人物たちはそれぞれドラッグや援助交際などさまざま違った形での過酷さを背負う者として描かれていく。しかし、物語の主人公である<若草ハルナ>という人物だけがひとりだけ別の描かれ方をしている。彼女はそれほど裕福ではない母子家庭の一人っ子で、授業をサボって煙草を吸う程度には不良であるけれど、野良猫の死を悼み、ボーイフレンドが繰り返す山田君へのいじめを声を上げて非難しそれを制止する程に良心をまっすぐに発揮できる人物である。
 そんな若草ハルナに対して、もうひとりのキーマンである<吉川こずえ>はストーリーの終盤で彼女をこう形容する。

「あの人はなんでも関係ないんだもん。そうでしょ? だからあたし達にも平気だったんだもん」

 この吉川こずえの言葉が意味するのは、若草ハルナが孕む欺瞞性への異議申し立てだ。
 吉川こずえを含めここでの登場人物たちは、みなすでに戦場という環境に適応すべくそれぞれが荒みや悪辣さを内面化した「鬼子」である。それに対して若草ハルナだけが、いわば鬼子としてゾンビ化されてしまう前のギリギリの境界線上を人間のまま無自覚にふらついている。彼女がひとりまだ保持している正しさ/コレクトネスというのは、ある意味で小林カツ代の父にも似たものだ。しかし若草ハルナのそれは大人である彼ほど固い塊というのではなく、こどもが原初的に持つ慈愛のように外殻を持たないもっと柔らかな状態のものである。それゆえ若草ハルナは無自覚にも、すでに鬼子である吉川こずえや山田君らを忌避することもせず(できず)、彼ら彼女らとふわふわと重なりあってしまっている。
 ここで吉川こずえが「なんでも関係ない」と非難しているのは、中国人を殺すことができなかった小林カツ代の父を上官がひどく殴ったのとおおよそは同じ意味である。こんな悪辣な<平坦な戦場>でひとり若草ハルナが鬼子にならずに正しさ/コレクトネスを保持し続けるのは欺瞞だろうと、鬼子側から異議を唱えているのだ。

 しかし一方で、この吉川こずえと山田君はじつは完全な鬼子にはなりきれていない。レイプ自慢をする中年のようには心を亡くしきれていないのだ。ふたりはどこかでかすかながら、まだ正しさ/コレクトネスを持つ人間でありたいと希求している。
 その表れこそが<茂みの死体>だ。このふたりが死体という一見グロテスクなものを心の拠り所にしているというのは、それが「究極の/本当のグロテスクさ」であるこの「戦場」に完全な鬼子として順応してしまわないためのある種の反転した気付け薬となっているからだ(山田君は「勇気」で吉川こずえは「ざまあみろ」とふたりの間でもその捉え方の角度は性格的に違うけれど)。
 そして吉川こずえと山田君がそのような半・鬼子の無意識下ではあるにせよ人間としての正しさ/コレクトネスを希求しているからこそ、まだ正しき人間である若草ハルナに惹かれるのだし、若草ハルナもまた彼らのその匂いをどこかで嗅ぎ取ったからこそそれに呼応してふわふわと重なりあったのだ。
(つまりkobeniという一般のブロガーの方が「死体=悪趣味」と短絡的につなげようとしたのを、宇川直弘が「これを悪趣味というと怒られる」と制したのはまさに正解なのだ)

 戦場ではいつだって正しさやナイーヴさは一顧だにもされぬ木片として踏みにじられていく。そしてその構造は誰にも変えられないように思える。「だって戦場とはそういうところ」だから。
 この時期の岡崎作品の作画で特徴的な「半分閉じたまぶたと開いた瞳孔」というあの表情には、そういった極度に虚無的でカラカラに乾いた諦念が込められているのだろう。

新装版『リバーズ・エッジ』(宝島社)表紙

 そしてみな知ってのとおり、コーネリアス/小山田圭吾がこのようなストーリーに配置されているのはおそらく偶然ではない。公言されているわけではないので断言はできないながらも、これはなんらかの形で岡崎が知ることとなった彼(と小沢健二)の実際のエピソードを着想のベースにしていると推察される。
 この『リバーズ・エッジ』の連載開始は93年3月号で、小山田のいじめキャラが広く世に知られる契機となったのは『ROCKIN’ ON JAPAN』94年1月号。そして小沢健二の実兄が和光学園在学中に学校の裏山で死体を発見したというエピソード(注釈の22)が書かれた『QUICK JAPAN vol.3』が出たのは95年8月だ。さらに、これは今回の件を経てようやく理解できたことだけれど、山田君がゲイであることのカモフラージュとして付き合っている<田島カンナ>はまさにフリッパーズ・ギターのファン像をカリカチュアライズしたオリーブ少女そのものとして描かれており、その田島カンナを山田君は内心”うとましく”思っている。
 斯様にこの『リバーズ・エッジ』には小山田圭吾(たち)にまつわる要素に満ち満ちている。
(蛇足ながら、『ROJ』発売後の94年6月には「解禁」とばかりに短編「GIRL OF THE YEAR」で再度小山田を今度はストレートに明らかないじめっ子として描いてもいる)

 岡崎とフリッパーズ・ギターの二人とは早い段階から親交があった。表立ったところではスチャダラパーの映像作品『スチャダラ30分』(1991年)ではゲスト同士として共演もしている。『リバーズ・エッジ』の中で山田君が若草ハルナへ餞別として贈ったCDがTHE MONKEESの『HEAD』であることからも、岡崎は彼らの音楽性も含め理解が深かったということが推し量れるだろう。こと小沢健二に対する岡崎の偏愛については、作品以外のコラム連載などでもことあるごとに公言されており、彼女の読者には広く知られているところでもある。小沢は岡崎の不慮の事故のあと吉本ばななとともに病室を見舞い、その後岡崎は小沢のライヴに車椅子で出かけてもいる(2010年「ひふみよ」ツアー)。

 このような推察を一旦もし前提とするならば、『リバーズ・エッジ』で描かれたこの<山田君>において、岡崎が小山田を「いじめる→いじめられる」に敢えてひっくり返しているのも、それは公表されていない事実をぼかしたなどではなく(そもそも公表されていないのだからそのことにあまり意味があるとも思えない)、そこに作家として相応の意図があってのことであるはずだろう。
 であればそれは、彼に配置転換を施してでもあの虚無的な諦念を示す「半分閉じたまぶたと開いた瞳孔」を”小山田自身”にさせることが必要だったからなのだと僕には思える。現実の小山田を軸にした「加害者×被害者」というある種の止揚にこそ、岡崎がこのことをどう捉えたのかが最も端的に示されているのだ。

 「戦場とはそういうところ」とただ開きなおるでもなく、おざなりな「戦争反対」でもなく、「戦争が生んだ悲劇」という象徴化でもない。そのうえで「憎むべき、私」である「鬼子」を悪魔化するでもないが、その非道は肯定も追認もしない。
 どうしようもないものが、どうしようもないまま、どうしようもなくぶらさがっている。どうしたってどこにも辿りつかないカラカラに乾いた諦念。

 このことは、どこからどう穿って見ても小山田が犯した罪の棚上げなどということではない(なっていない)だろう。一時期のいくえみ綾が奥田民生をモチーフにしていたような他愛ないファン意識からの愛情表現でもない(なっていない)。
 岡崎がわざわざこんな荒涼としたストーリーに小山田を置いたその作家的動機から窺えるのは逆に、あくまで怜悧で透徹したニヒリズムの視線だ。そのことは前出の『リバーズ・エッジ』のあとがきで書かれたあの彼女の厳しい言葉遣いからもわかる。

「彼ら(彼女ら)は決して忘れないだろう。皮膚の上の赤いひきつれのように。」

 この容赦のなさこそが岡崎が信頼に足る作家である所以であり、そしてこのストーリーが時を経たタイムカプセルのように、擁護派でも批判派でもない頭であのことを考える手がかりになると僕が思う所以でもある。
 加えて余計に言うならば、この岡崎の言葉どおり、結果としてあのことが小山田にとって忘れられない赤いひきつれとなってしまったのは皮肉にもあまりに予言的だった。


4. そしてみな歳をとる

 『リバーズ・エッジ』で描かれた鬼子としての少年期、それをまだ省みることができなかった『ROJ』『QUICK JAPAN』の青年期を経て、(どうでもいいけれど)僕はついに自ら子を持つ親としての中年期を「憎むべき、私」を抱えたまま迎えている。
 その過程においてはそこにニヒリズムや批評としての音楽やマンガや雑誌や映画などがさまざまにあり、多くの90年代を生きた人たちと同じく僕もまたそれを足がかりにして何かをつかもうとしたひとりである(どうでもいいけれど)。
 でもいまの僕にはもう、ダウン症の子たちの相貌がみな似ているといって嗤ったりはできない。級友の首に紐で箱ティッシュをぶら下げたりもしないだろう。それよりも出生前診断における相克のことをはるかに身近に感じる。障害のある子を持つ親たちが年末年始に帰省をしたときのブルーズを語るツイートをDOMMUNEと並行して見たりもする。我が子のできること/できないことには一喜一憂し、学校での様子を知らされるときはいつだって、拝むようにして戦局の報道を聞く銃後の母のような気分だ。

わたしには、『リバーズ・エッジ』の登場人物の中でもっともジオラマ・ワールド(※)に適応しているのは、若草ハルナであるように思われる。だから、このジオラマ・ワールドのニヒリズムを、もっと徹底させることによって、(もしかしたら)それを無化する力があるとしたら、それはハルナから始まるように思えるのだ。山田君も吉川こずえも、そのことにうっすら気がついている。

(椹木野衣『岡崎京子論・平坦な戦場で僕らが生き延びること』(2000年刊)より抜粋)
※註 「ジオラマ・ワールド」とは、空疎な”書き割り”的現実世界のこと。

 椹木はここで「ニヒリズムをもっと徹底させること」がいったい何を指すのか具体的には提示しなかった。それってもしかして横井庄一や小野田寛郎みたく孤立無援でいつまでも萎びたニヒリズムをひとり抱え続けていたあいつのことだったのだろうか? まあそんなわけはないだろう。(だろうだろうはもういいだろう。)あいつはまだこれからもひとりで行軍する気みたいだけれど、くれぐれも心と体には気をつけてほしい。みんなもう、ずいぶんいい歳なのだ。

 コーネリアスに近しいBIG LOVE RECORDSの仲真史が自身のブログで、そもそもオリンピックなんてものをなぜ引き受けてしまったのかと嘆きながらも「(息子)に背中を見せたかったのかな」というようなことを書いていた。他方、中原昌也はオリンピックを理由に絶縁宣言していたけれど、それもわかると思いつつ、僕はそんな俗っぽさも含めてこその人間味だと思ってしまうクチだ。息子がサカナクションを好きだからという理由でリミックスのオファーを受けたという意外に凡庸な彼の子煩悩さもなんだか好ましく思う。

 僕はコーネリアスをこのままサイレント鬼子たちのスケープゴートにしていいとは思っていない。だからこそ彼に#metooを掲げようと思う。でも、だからといってなにもいまさらコーネリアスに聖人君子であってほしいと思っているわけでもない。なんなら彼がアルコホリックでも、ナーコティックなサチリアージスであったとしても別にかまわない。偶像に踊らされる田島カンナになるのはごめんだ。その作品さえ素晴らしければ僕はRHYEだってフィル・スペクターだって聴く。ビル・コスビーの古いアルバムは最高のレアグルーヴだ。

 ファンとして言えるのはここまでで、その先は外野がやいのやいの言うことではなくコーネリアス自身が決めることだ。
 もし彼がどこかのテレビタレントみたいに何か福祉的なボランティアを経験することで禊とするのならそれはそれでいい(そもそも禊なんてものが誰のために必要なのかもわからないし)。
 ただ、音楽家・コーネリアスにとってのダブルバインドは、「デザインあ」を含めた自身の作品の輝きが他律的な意味でそのような最短距離をきっと許さないだろうということだ。
 そうではないやり方。それにはおそらく発明レベルのなにかが必要なのだけれど、それでもきっとコーネリアスならやれるでしょうよと僕はわりあい楽観的に考えている。あの『POINT』でみせた、他の誰のものでもない新たな独自の作風。そんな、僕らをあっと言わせるなにか(それはもはや音楽ではないかもしれないけれど)をまた生み出してくれるに違いない。

 いつかまた、新たな素晴らしい作品に出会えることをいちファンとして期待している。そして僕は僕の十字架を背負って生きていこうと思う(どうでもいいけれど)。その先でまた、今度は違った意味での#metooを、外野ながら彼に向けて掲げられるといいなと思う。(了)


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