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映画『主戦場』を薦める理由③

前回、日本軍「慰安婦」問題は人権の問題であり、それがこの映画『主戦場』のテーマの1つである、と書きました。

多くの女性が、騙されたり、人身売買されたり、時には暴力を受け「自分の意思に反して」日本軍の関与する施設に集められ、自由に辞めたり帰ったりすることもできず、連日多くの兵士の相手をさせられた、日本軍「慰安婦」制度というのは、言うまでもなく彼女らの人権を蹂躙するもので、現代の感覚では決して許されるものではないでしょう。

さて、2015年12月の日韓合意によって、二国間における慰安婦問題は解決済みというのが日本政府の見解であり、実際この状況下で、我々が韓国に住む元慰安婦の方たちに対して出来ることは、ほとんどないように自分には思えます。
また、韓国で元慰安婦だと名乗り出た者の多くは既に亡くなっており(昨年の朝日新聞によると現在は25名ほどだそうです)、その生の声を聞くこともなかなか難しい状況で(実際に監督もインタビューを行えていません)、その姿を見られなくなってしまうのもそう遠い未来ではないでしょう。

そうなると、今、我々に出来る大切なことは、戦時下において彼女たちを苦しめた日本軍「慰安婦」制度というもの記憶し、二度とそのようなことが起きることがないよう、後世に伝えていくことではないでしょうか。

前回に続き、何をそんな当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、実は、その当たり前のことが現在の日本では難しくなって来ているということを、この『主戦場』という映画は指摘しているのです。
それは、一体どういうことなのか?詳しくは、映画を観てもらえばわかると思うのですが、自分は、このことがこの映画の一番重要なポイントだと思いました。

一人一人が戦争の悲惨さを十分認識し、戦争などあってはならない、決して戦争をしてはいけないのだと強く思うことが、戦争抑止の第一歩ではないかと自分は考えます。
そして、そのためには、戦争の残酷さ悲惨さといったものを後世に伝えていくことが重要だと思います。
なのに、それが出来なくなりつつあるということは、非常に問題ではないでしょうか。
ただでさえ、戦争体験者は年々少なくなっていて、生の声を聞ける機会も減っていくのにです。

映画『主戦場』は、未来に伝えるべき事柄が伝えられなくなる、そんな時代がもう既に来ていると警鐘を鳴らしています。
自分をはじめ多くの観客が、この映画を是非とも大勢の人に、特に若い世代に観て欲しいと言っている理由がここにあるのです。

2015年8月14日、戦後70年にあたっての安倍内閣総理大臣談話の中に、次のような一節があります。

「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。」

映画『主戦場』はまさに、その過去を胸に刻み「続ける」ための映画なのです。

皆さん、ぜひ映画館へ足をお運び下さい。

公式サイト
http://www.shusenjo.jp/

※おまけ※
戦争には、被害的な側面と加害的側面があります。
原爆投下や空襲など被害については多く語られますが、それに比べると加害についてはあまり語られていません。
まあ、生きて帰ってきた方たちも、自分の戦場での行為を語るのはとても苦しいでしょうし、また、家族の方としても、自分の父親や兄弟親戚、知り合いが戦場で行ったことを聞いたり想像することも辛いと思います。

それ故か、戦争の加害は加害として伝えられることに困難さが伴います。

例えば、「聖戦」「神風」「軍神」といった神格化された言葉で飾られたり、「原爆のおかげで戦争が終わった」と大義名分が立てられたりします。
また、「御国の為に勇敢に散った若者たち」として伝えられる特攻隊も、見方を変えれば、軍の考案した非人道的作戦の犠牲者であり、軍による身内への加害と言えなくはないでしょうか?

このように、戦争加害は正当化されてしまいがちです。
人はやはり、自分や自分が属するグループを悪く思いたくないですから、ある意味仕方のないことなのかもしれません。
でも、それでいいのか考えてみる必要もあるんじゃないでしょうか。