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エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える

 を読みましたので簡単にまとめ②。著者は三浦俊彦氏。
 ①では涼宮ハルヒの憂鬱やエンドレスエイトに関する簡単な確認をしました。今回はエンドレスエイトが不評だった理由を5つ簡単にみていきます。

①物理学的誤謬
②ジャンル的誤謬
③芸術学的誤謬
④解釈的誤謬
⑤メタフィクション的誤謬

 の5つが挙げられていました。こう書くと仰々しいように思われるかもしれませんが、解説を聞くと「ああ、確かに」と(ぼくは)なりました笑。

 まず①物理学的誤謬から。
 簡単にいうと「バタフライ効果」が蔑ろにされているという指摘です。「バタフライ効果」とは、わずかな変化を与えるとその後の状態が大きく変わってしまうことです。
 エンドレスエイトでは、セリフやシーンは同じなのにも関わらず、服や水着の色、目配せ等の些細な行動にわずかな変化が見られました。マクロでは同一なのにミクロに違いが生まれていたのです。制作側の遊び心と捉えられるかもしれませんが、いや待てと。例えば登場人物が前回(登場人物は意識していないが)と違う服を選んだ場合、その後の気分が変わり、発言が変わっても全くおかしくないですよね。よく考えれば、同じ日々をループしつつも登場人物の言動の変化によって内容が変わっていく、そのほうが自然なのです(他のアニメを考えるとわかるかと思います。リゼロなど)。
 つまり変に同じ流れにこだわった結果、かえって不自然になってしまったのでした。

 次に②ジャンル的誤謬。
 簡単にいうとアニメでこれをやるのは適切ではなかったということです。
 ここでは「フィクション」と「シミュレーション」が対比されています。ここでもざっくり言うと、「フィクション」は細部まで作り手の思いのままにできるもの。「シミュレーション」は作り手の意図とは別に不確実な要素が大きいもののことです。「フィクション」は例えば漫画や詩、ゲーム。「シミュレーション」は例えば料理や園芸。作り手の意図が正確に反映される度合いで分類されると考えてもらえればよいと思います。
 そして、アニメはここでは「フィクション」でしょう。なぜなら画や声、アニメ内の世界の全てを統制できると言っても過言ではないからです(人間が演じるドラマよりもフィクション性は高いと言えましょう)。
 しかし一方、エンドレスエイトはシミュレーション性があるものです。同じストーリーの中でも、毎回の微妙な雰囲気の差(演じるのが人間なら醸し出されたかもしれない)が楽しみうる要素として挙げられると思いますが、アニメは細部までがっちり作り込まれるものなので、それが感じられにくいのです。登場人物の微妙な差ですら、制作側が意図したものなのだな、と思われてしまう(声優のアドリブなど変化はありますが、これも作り込まれた作画ありきのものなので生身の人間は演じる映画等よりは劣る)。
 以上が、ジャンル的誤謬の概要です。

 簡単にまとめるつもりでしたが長くなってしまったので今回はこれで終わります……。

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