妄想:民主主義は信用ならない、という結論

*****

結局のところ、ウクライナを助けることができない民主主義陣営。もっとも危惧すべきは「民主主義は信用できない」という信用不安だろう。

イスラエルも右傾化した結果、民主主義をかなぐり捨てた。イランも民主主義の形をとってはいるが、伝統的な宗教優位から脱することはない。インドも同程度か。ロシアも中国は民主主義ではない。そして、アメリカ合衆国も「立ち行かない民主主義」国として世界に認知されつつある。

現在において、民主主義をまわしているのは欧州だけかもしれない。その欧州がウクライナ支援に立ち往生している。「ウクライナの民主主義が潰えれば欧州も消える」という危機感でまとまる様子が見えない。民主主義の "まずいところ" が露呈し「言いたい放題」の状況から抜け出せないでいる。

先進国=民主主義国という信頼と信用。この構図はもはや "衰退すること" を意味するのか。

ウクライナを勝たせるために一致団結する、これができなければ民主主義の信頼は完全になくなる。そのことを民主主義陣営は本当に理解しているのか。理解してるが手が出ないなど、甘えである。その甘えは自陣営を崩壊へと導くのだ。

こう捉えると「民主主義を守るために全体主義を導入するより他はなし」となる。つまり、専制や強権を一時的に取り入れるということだ。「なあんだ、結局、民主主義じゃ勝てないじゃん」という結論になる。

歴史が証明している。チャーチルもルーズベルトも当時の先端メディアであるラジオを通じて「呼びかけ」を行っている。"呼びかけ全体主義" とでも呼べる "民主主義の一致団結" を促していたのだ。民主主義的な一時的な全体主義。メディアを通して信条として民主主義陣営が固まっていく様。それが、現在に必要な全体主義像かもしれない。

異なる意見を内包しつつ、自陣営の崩壊を招かない断固たる姿勢。それを対立する陣営に見せなければ、負ける。負ければ信用崩壊につながる。それが、現実なのだ。

*****

#日経COMEMO #NIKKEI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?