政治に "俳優" が必要な時
この意味は、「国民の描いた筋書きを演じる人々」のこと。
今は、どちらかというと「自身の思いに共感する人々」をどれだけ増やすか、というアクトになっている気がします。複数集まって政党になったとしても、政治家が先頭に立つ集団という意味合いが強い。
もう、デジタル化された時代。国民のバラバラな思いも、デジタル化の中でうっすらとでも「政治はこうあってほしい」というストーリィを描き出せるのだろうと思うのです。
だとすれば、そのストーリィに沿って見事に演じられる政治家が求められます。
で、ストーリィづくりには、専門的な観点から整理整頓するチカラが必要で、そこにメディアが参入する余地があります。各メディアがその独自性から整理整頓された「国民の筋書き」を描き出していくのです。
多種多様なメディアが国民の筋書きを整理整頓して世に問う。「おぉ、その筋書きに近いぞぉ」と思う国民がどれほどいるか、そこも明確にしていく。
そうすると、最大瞬間風速としての支持と、長い目で見た支持と、時間軸による解析もできるから、その優先順位に応じて "選挙によるオーディション" が行われるという流れです。
メディアが国民の筋書きをまとめ、政治家がそれを自身の意図と照らし合わせて演じて見せる。その実働:アクトで次の選挙で支持を集める。デジタル化の中で生まれる新しい政治の流れ。
おそらく、今の政治団体とは違う政治の集まり・塊ができるのだろうと思います。メディアは自身の描いたストーリィの実用性によって成長する。同時に、対立するメディア同士で切磋琢磨するという熱も伴う。その熱に手をかざし、ともすれば冷えていく世の中に暖を取ろうとする国民も増えていく。
今のままでは、政治もメディアも冷えていき、手をかざす国民もいない。
熱気あふれる舞台で、鬼気迫る演技をする政治家。筋書きから外れるアドリブも時々に喝さいを浴びるのですが、最後は筋を通す。政治とメディアが作り出す舞台。
デジタルで実演できるその日まで、まだ、時間がかかりそうな、そんな妄想をした次第。
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