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老年になってようやく自分の人生を歩み始める


ただ生きるための仕事として暗殺者になった女性。
別になりたかったわけでもなく、ただ必死に生きようとしていた頃に出会った人が、その手の仕事を秘密裏に受けていたまでのこと。
それがだんだん評判が広まっていって、暗殺を行う実行者として訓練され、会社の創設メンバーにして優秀な暗殺者として育てられた女性。
それから時が経ち、高齢者となった今も現役で活躍し続ける彼女。
でも、老化というものは確実に体を蝕み、昔ほどの優雅さや美しさや身体の強靭さは失われてしまう。
関節がきしみ、手の震えや老眼など、暗殺稼業にとって任務遂行に必要な能力が低下していく。
それでも彼女は暗殺稼業を辞めるわけには行かない。
それが彼女の生き方であり、それ以外の生き方を知らないのもあり、それ以外の人生を生きるつもりも無いから。

平凡な人生を送るつもりなんて全くなかった。
沢山の人を殺しておきながら、今更普通の人生なんて送れるはずがないと思っていた。
愛犬を散歩させて町の人とおしゃべりしたり、自分を着飾るためのオシャレをしたり、心惹かれる人に淡い恋心を抱いたり、人助けをしようとしたり。
そんな人生とは無縁な生き方をしてきて、そんな生き方をするつもりは全く無かったのに、気づいたら冷徹で残酷な部分が薄らぎ始めている自分に気づき始める。
ターゲットを殺すためなら、どんな障害物があっても、どんな邪魔が入っても気にせず、自分のやるべきことを優先する。
周りに手を貸すようなことは一瞬たりとも思考に登らない。
今まではそうだったのに、歳のせいなのか、気づけば他人に同情してしまうことも増えてきた。
人間はずっと同じままなんてことはない。
身体ももちろん、精神的にも思考的にも人は変わっていくもの。
若いときと年老いてからではまた違ってくる。
老いというものを自分なりに受け入れて来たはずなのに、ところどころ湧き上がる感情に自分でも驚き、戸惑いながらも順応しようとする彼女の境遇が、詳細な描写によって浮かび上がってくる。

暗殺者は身軽でなければならず、守るものも少ないほうがいい。
そういう教えを初めての男性であり師匠である人に教わった彼女。
でも最近は犬を飼い始め、家にはモノがあふれるようになり、人の生活を気にすることもし始めた。
過去の思い出も振り返るようになり、壮絶で愛おしく悲しい出来事が昨日のように思い出される。
こんなふうに老人の女性を主人公にした物語はなかなか珍しいんじゃないだろうか。
しかも暗殺者という設定が、余計に異色さを増している。
熟れた果実を放置すると、あっという間に腐って酸っぱくなってしまう例と重ねて、自分ももうそろそろ行き方を変えないといけない頃なんだろうか、と自問し始める。
暗殺者としてはあるまじき行為をするようになり、それが歳のせいで丸くなったのか。
現場で自分の命を落とすことは本望ではあるけど、いつまでも長く続けられるものでもない。
創設メンバーとして頑張ってきているけど、身体が言うことを聞かないんじゃあ仕事にも差し障る。
老年というのは、嫌でも自分と向き合う時期に差し掛かってくるんだろう。

人は守るものがあれば、それのために生き残ろうとする力があるらしい。
師匠の教えでは「守るものがない方が身軽でいい」と言っていたが、彼女にとって師匠は大切な存在だったはずだ。
師匠と一緒にいたい、ともに生きてともに死にたいと思っていた。
彼女にとって師匠はある意味で生きる望みであり、守るものだった。
なのに師匠を先に失ってしまったことで、彼女には守るものがなくなった。
自分一人なら任務中に死んでも構わない。
そのほうが早く師匠に会えるのだから。
でもカノジョは「犬」という別の守るものを見つける。
それはただ偶然で、引き取る必要もないのだけど、どこかで自分が帰るべき理由を探していたのかもしれない。
そして彼女は犬という存在のために、守るべきものを見つけたからこそ、まだ死ねないと思ったんじゃないだろうか、という気がした。

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