2023雛の笑顔に会えるまち~博物館編
明後日で終了しますが、今年も「雛の笑顔にあえる街」をキャッチフレーズに、須賀川で「お雛様」を展示しています。
昨年も取り上げたのですが、毎年少しずつテーマを変えて展示に工夫を凝らしているのが、須賀川の凄いところ。
今年は、「博物館編」から参りたいと思います。
今年の須賀川市立博物館の雛人形展は「御人形と装いの美」がテーマ。
婚礼衣裳なども展示されていると聞き、開催日ぎりぎりになりましたが、足を運んできました。
入り口はやはりつるし雛
昨年も見たつるし雛に、今年も逢うことができました。こちらは、地元の婦人会の方が祈りを籠めて一針ずつ縫い上げているものです。
さらに進むと、華やかな扇に迎えられます。
こちらは、昭和時代に作られたという扇。
どれも、色鮮やかですね。
女性の粧いに欠かせない鏡
女性の粧いというと、欠かせないのが「鏡」。
古来は呪術の道具などでも使われましたが、室町時代の頃には、上流階級の間では気軽に利用できるようになっていたようです。
それまで主流だった「円鏡」から、中国の宋の影響を受けた「柄鏡」が中心になります。
江戸時代になると、鋳造技術が発展して大量生産されるようになり、庶民にも鏡が広まりました。
鏡の背面には文様をあしらうのが一般的であり、中でも好まれたのが「吉祥文様」。懐や帯に入れて持ち歩ける「懐中鏡」も作られ、化粧をしたり、自分と向き合うために使うなど、現代の私達と同じように「美を装う時の必須アイテム」となっていたのでしょう。
柄鏡の一例としては、次のようなものがあります。
写真右より
1. 富士と三保の松原
2. 蝶紋
3. 福寿と宝尽くし
4. 南天に菊
1についての解説は、するまでもありませんね。2は、蝶は産卵期を迎えると番の姿をよく見かけることから、幸福や繁栄などを意味し、結婚式などにもよく用いられるそうです。
4の南天は「難を転じる」。菊は元々中国から不老不死の薬として伝えられたため、縁起の良い花として扱われました。
また、鏡を掛けておくための台など、付属品も発達します。
さらに江戸時代になると、女性の「身だしなみ」として「お歯黒」もつけられるようになりました。
写真右の鉢が、お歯黒用の鉢です。
江戸時代の既婚の女性は、お歯黒で歯を染め、眉を剃り落とすのが一般的な粧いでした。
歯を黒く染めるのは「他の色を染まらない」、貞節の証でもあります。他にも、お歯黒は吉原の遊女もつけていたそう。
このお歯黒は、米の研ぎ汁や酢に、古釘や錆びた鉄などを入れて作りますが、独特の匂いがあるので、女性は男衆よりも早く起床し、男性たちが起き出す前につけていたとのこと。おしゃれが大変なのは、昔も今も変わりませんね。
江戸時代のヘアスタイル
室町くらいまでは、女性は垂髪(髪を垂れ流したり、一本に纏めたりする)が一般的でした。
ですが、江戸時代になると高々と髷を結い上げる「日本髪」が見られるようになります。
元々は外国や男性の真似をしていたものでしたが、次第に独自の発達を見せます。
日本髪を結う際、おしゃれアイテム&ヘアスタイルを保持するために使われたのが、「櫛」「笄」「簪」。
これらの髪飾りの素材に使われたのは、鼈甲や象牙、漆、銀、ガラス、珊瑚など。
こちらが、展示されていた鼈甲の櫛&笄です。
ですが、明治時代になると結い上げるのが大変な日本髪に変わり、日本髪を洋風にアレンジした「東髪」などが、錦絵の宣伝もあって東京を中心に普及していくようになります。
ヘアスタイルの変化に合わせ、髪飾りも新しい「根掛け」などが登場してきました。
根掛は、元々は髪を結ぶ「元結」の一種で、髷の根元を結び飾るものです。中でも珊瑚珠の根掛は独特の風合いを持つことから、明治時代に大流行したそうです。
さらに、「セルロイド」(現在のプラスチックのようなもの)が登場したことにより、高価な鼈甲や珊瑚の髪飾りの代用品として、多くの女性に使われたそうです。
ハレの「嫁ぐ日」
さて、女性の人生における「ハレの日」は、やはり結婚式の日ではないでしょうか。
私自身は「事実婚」で済ませましたが、ハレの衣裳を纏いたいという願いは、時代を越えた女性の憧れだと感じて止みません。
婚儀に用いる調度品や、婚礼の場を飾るあらゆるものに、嫁ぐ女性や嫁ぐ家の幸福・子孫繁栄への祈りを籠めて、幸せの象徴の形や色、文様が施されました。
現在の婚礼作法の原型が概ね成立したのは、室町時代。足利幕府が武家の常識として礼道(小笠原流・伊勢流など)を調え、また平安時代までの「婿入り」(通い婚)から「嫁入り」に変わったのも、この頃です。
「嫁入記」という書物によると、婚礼の衣裳も、
連絹の白小袖に幸菱文様を織りだした白打掛を重ねる
→白無垢の始まり頭には、白絹の被衣(かづき)を被る
→角隠し・綿帽子などの始まりと考えられています
など、現代の結婚式(和装)の原型が見られます。
さらに、江戸時代になると婚礼の儀を終えた後の祝宴で、婿が嫁の為に用意した紅や黒などの色物をまとう「お色直し」の風習が見られるとのこと。
お色直しの始まりの時期については諸説あるようですが、きっと、当時の女性たちは「お色直し」の錦繍の着物にも、胸をときめかせたのではないでしょうか。
そんなわけで、恐らく「お色直し」用の花嫁の打掛。
鶴や亀をはじめ、松竹梅などの吉祥文様が、爽やかな色地に散りばめられています。
また、今回の展示では「内藤家の婚礼マニュアル」が展示されていました。
私は古文書は残念ながらまだ読めませんが(苦笑)、読解できたら興味深いでしょうね。
パネルによると、江戸時代の結納品は概ね七品・五品・三品の三パターン。
婿の分限によって、品数や量が決められたそうです。
内藤家の場合は、
• 小袖
• 昆布
• 鯣
• 鯛
• 袴
を、花嫁の為に用意しました。
こちらは、花嫁が、手にしていた扇。そして、写真右上には怒りを隠し、貞淑な妻となることを誓う意味する「角隠し」があります。今でも、和装の婚礼衣裳で身につける人も多いですね。
角隠しは、花嫁が文金高島田に結った髪の上から身につけました。
三々九度に使われる「銚子」にも、つがいとなる蝶の縁起物が使われました。
また、武家の場合は「嫁入り道具」として「雛人形」を持参することもありました。
同館のカタログによると、武家の雛道具は輿入れの際に用意される調度品一式(駕籠・黒棚・文房具など)の精巧なミニチュア版で、輿入れの際、調度品と一緒に持参したそうです。
そして、昔の「嫁入り」の縁起物の一つが、「貝合せ」。
源氏物語などの平安文学でよく登場するアイテムですが、実物を目にしたのは私も初めてで、当時のロマンチックさを偲ばせます。
せっかくなので、それぞれの貝をズームしてみました。
婚礼衣装いろいろ
江戸時代になると、武家の婚礼は花婿と花嫁のそれぞれの家の結びつきを堅固にする意味も持ちました。そのため、婚礼に至る手順や衣裳は厳格に決められ、色も「白・紅・黒」が基本色。これに伝統的な吉祥文様を散りばめたのだそうです。
一方、商人など町人の場合は、武家の婚礼を簡略化したバージョンで挙式を行いました。武家と異なり、お色直し意向の宴会が重視され、色味や刺繍なども武家より華やかで自由な婚礼衣裳だったと言われています。
もっとも、華やかな婚礼を行えるのは、経済力のある豊かな家庭に限られていたとのことですから、庶民は事実婚などが多かったのかもしれませ
暗いので、ギリギリまでアップにしてみました。
文字通り、裾に鶴が飛翔しているのがわかりますでしょうか。
子の健やかな成長への祈り
そして「ハレの衣裳」は、子供の健やかな成長を願うものでもありました。
一つ身:0~2際くらいまでの幼児の着物。背の中心は縫い目がなく、帯の変わりに付け紐を使う
四つ身:4~5歳くらいの幼児が着るが、肩上げや腰上げをして、7歳の七五三まで着ることも出来る。
子供の着物もさまざまな模様がありますが、中でも「麻の葉文様」は、よく知られているのではないでしょうか。
まっすぐですくすくと育つ様子と、魔除けの願いも籠めて赤地に麻の葉文様を散らした着物は、「鬼滅の刃」で禰豆子が纏っていますね。
麻の葉文様も、吉祥文様の一つです。
※追記:市原多代女
アップした後で、情報の漏れに気づきました!
今回の企画では、須賀川の女流俳人市原多代女の句の掛け軸も展示されています。
俳句に興味が在る方は、ぜひご覧くださいませ。
多代女は、須賀川の有力な商人「市原家」を取り仕切る奥様でもありました。
きっと家業を切り盛りしつつ、春の華やかな空気の中で、ご近所で節句のお祝いの白酒を売っている様子を詠みこんだ句なのでしょう。
そんなわけで、今年の「博物館の企画」も大いに楽しませていただきました。
雛人形の様式や節句人形の意味もろもろについては、昨年の記事からどうぞ!
©k.maru027.2023
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