note的メディア観

noteの公式発表で、この記事を読まれた方も多いのではないでしょうか。

“毎日たくさんの記事が投稿されるnote。 思いがけない記事に出会えるたのしさもありますが、「自分の好きなジャンルの記事を優先して読みたいな」と思うことはありませんか? noteではこれまでも、投稿いただいた記事を機械学習でいくつかのカテゴリに分類したページがありましたが、各カテゴリをもっと盛り上げて、さまざまな作品をより興味を持ってもらえる方へ届けたい!という思いから、それぞれのカテゴリに担当ディレクターがつき、あらたに「メディア」としてリニューアルをおこないました。”

私自身も何度か「公式マガジンへのピックアップ」を経験して、選ばれた理由について分析したことがあるのですが、note運営サイドの発表を見る限りでは、概ね私の分析は正しかったと言えそうです。

で、「お?」と感じたのが、「それぞれのメディアについてディレクターがつく」という点ですね。

この「メディア」という名称が、noteの意識改革をよく表しているのではないでしょうか。

◇◇◇

そもそも、noteのキャッチコピーは「クリエイターの集う街」というイメージだったと記憶しています。
すると、noteの発端からしてやはり「SNS」の性質を強く帯びていたと言えるでしょう。


ここで思い出すのは、姉妹サイトのcakesの一連の炎上騒動です。まだ生々しい記憶として多くの方の印象に残っていますし、運営サイドも立ち位置の転換を見直さざるを得ない出来事だったのでしょう。

それを踏まえて今回、あえてnote運営サイドが「メディア」の名称を用いたのは、なぜか。

一連の炎上騒動を経て、noteを外から眺めた場合に「メディアとして認識されている」という自覚を、運営サイドが痛感したからだと私は推測しています。
数度の炎上騒動を機に、note運営陣は一般的なSNSサービスとの差別化を図ろうとしているのではないでしょうか。

そもそも、メディアというのは、medium(英語)の複数形。
mediumは「中間にあるもの」や「媒介」の意味ですから、クリエイターと企業の媒介の場として、noteがサポートしますよ、という姿勢なのだと私は解釈しました。

◇◇◇

ということは、単に「スキ」の数やビュー数の指標だけでは、公式マガジンにピックアップされるには足りない、ということです。
言い方は悪いですが、「自分の作品はこんなに素晴らしいのに、読まれないのはおかしい」と勘違いしている?人や、フォロワー数を鼻にかけてやりたい放題を繰り返す、インフルエンサー的な手法を用いる人は、そっぽを向かれるということですね。

そう考えると、この秋の大規模な「カイゼン」の数々の施策も、腑に落ちるのです。

SNSらしい要素を残しつつも、クライアントとクリエイターの出会いの場となるような、そのような作品をお待ちしています。

あくまでも私見ですが、それが現時点でのnote運営サイドの真意かもしれませんね。

一部の人々の間では「noteユーザーが減った」と囁かれていたようです。ですがむしろ視点を変えれば、「SNS的な運用をしてインフルエンサーを目指そう」と目論んでいた人々は、これから自然淘汰されていくのかもしれません。

また、フォロワー様のお一人である「やらぽん塾長」様も、同じような事を指摘されていました。

noteを「身内が集うSNS」から「メディアの一部」として認識されることを目指すかは、最終的にはユーザーの意識次第。

今回のアナウンスは、そのような事を感じさせられた公式サイドの発表でした。

追記:そう言えば似たような記事を書いたな~、と書きながら考えていたのですが、こちらの記事でした。
よろしければ、こちらもどうぞ!



#note
#コラム
#エッセイ
#最近の学び
#メディア論
#マーケティング
#とは
#SNS
#気づき
#公式マガジン

この記事が参加している募集

最近の学び

これまで数々のサポートをいただきまして、誠にありがとうございます。 いただきましたサポートは、書籍購入及び地元での取材費に充てさせていただいております。 皆様のご厚情に感謝するとともに、さらに精進していく所存でございます。