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悪魔のスパイ

高校生の頃、ハヤカワ文庫にハマっていた時期があって、その頃に購入した一冊です。
しかも、何となく修学旅行に気乗りがしなかったので、新幹線などの暇つぶしとして買った記憶が……。
今振り返っても、かなり渋い趣味の高校生だったと思います(笑)。

著者は、イスラエル出身のマイケル=バー=ゾウハー。1967年の六日戦争や1973年の第四次中東戦争での従軍経験があるそうで、スパイ小説の書き手の中でも、史実を踏まえたリアリティと虚構の世界を織り交ぜるのが絶妙と感じる作家です。

時は第一次世界大戦真っ只中のパレスチナ。
ハイファ地区カルメル山の麓にある、考古学者の一家がトルコ軍からスパイの嫌疑により襲撃されるところから、物語は幕を開けます。
当時、シオニズム運動(ユダヤ人が約束の土地=シオンへ戻ろうとする運動)の影響もあったのでしょう。

ただ、当時のパレスチナはオスマン帝国の支配下にあり、中央政権への絶対服従が求められていたというのは想像できるのではないでしょうか。

主人公のルースは、シオニストとしての心の拠り所を恋人のサウルに求めると同時に、イギリス軍のスパイとして活躍していました。
ですがそれを嗅ぎつけたトルコのムラド=パシャは、彼女を捉え処刑するつもりでした。
ですが、ムラドの顧問であったフォン=トラウプ(ドイツ人)に、彼女を今度はトルコのスパイとして、連合国側の機密情報を盗み出させ、イギリス軍のエルサレム進攻作戦を探らせるよう提案されます。迷いつつもフォン=トラウプの案に同意したムラドは、彼女をエジプトのカイロに送り込みました。

カイロは恋人のサウルのいる街。
カイロで、ルースは図らずもかつての恋人と敵対する立場に置かれることになるのですが……。

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というのが、大まかなあらすじです。

私がこの小説にさんざんハマったのは(ハマりすぎて、文庫本は分解しました😅)、やはり設定の緻密さかもしれません。

2度の世界大戦は、現代でも中東に暗い影を残しているのは世界史でも習った人が多いかもしれませんね。
もっとも中東情勢は歴史的にも複雑で、私もイスラム圏の学習は比較的苦手分野でした。

ですが、イギリスのバルフォア宣言(イギリスがユダヤ人の民族的郷土の建国を認めるとした宣言)についての問題点も、作中で言及しているなど、私が現在の中東の複雑な問題について考察する際の、ナビゲーター的な役割を果たしてくれた作品かもしれません。

(引用)私は国王陛下の政府を代表いたしまして、ユダヤ人シオニスト諸君の大望に共感を示す以下の宣言を、閣議の同意を得て貴下にお伝えすることができて非常に悦ばしく思っております。
「国王陛下の政府はパレスチナにおいてユダヤ人のための民族的郷土(ナショナル・ホーム)を設立することを好ましいと考えており、この目的の達成を円滑にするために最善の努力を行うつもりです。また、パレスチナに現存する非ユダヤ人諸コミュニティーの市民および信仰者としての諸権利、ならびに他のあらゆる国でユダヤ人が享受している諸権利および政治的地位が侵害されることは決してなされないことはないと明確に理解されています。」
 貴下がこの宣言をシオニスト連盟にお知らせいただけましたならば光栄に存じます。
                 アーサー・ジェームズ・バルフォア
 ※私=バルフォア(イギリス外相) 貴下=ロスチャイルド卿(シオニスト連盟会長) <『世界史史料10』歴史学研究会編 2006 岩波書店 p.41>

また、主人公の恋人であるサウルがロシア系ユダヤ人であることから、ロシア革命についても触れるシーンが出てきます。
その中で、中央政権の要職に就いたトロツキー(ユダヤ系の政治家)のその後を暗示する一文もあって、ユダヤ人が背負ってきた長年の苦悩を彷彿とさせるのですね。

さらに、作中にはT.E.ロレンス(通称アラビアのロレンス)が登場してエドモンド=アレンビー将軍(後に子爵)と対立したり、第一次世界大戦大戦中のパレスチナ戦線におけるメギッドの戦い(イギリス軍によるエルサレム奪還)が描かれたりと、とにかく歴史的要素が「これでもか」とばかりに詰まっています。

その上で、カイロにおけるきらびやかな社交界やアラブの世界観、ベドウィンの風習なども丁寧に描かれていて、巧みなストーリーテーリングと相まって、作品に彩りを添えていると言えるでしょう。

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マイケル=バー=ゾウハーの作品はいくつか読んでいるのですが、私の中では中東の世界への扉を開いてくれた1冊として、思い出深い作品です。

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