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vol.103 J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」を読んで(野崎 孝訳)

大人のインチキは、社会生活を営むための潤滑油ぐらいに思っている僕が、インチキを嗅ぎ分けてその欺瞞性を暴こうとするホールデン少年にどこまで入っていけるか、この驚異的なベストセラーを初めて読んだ。

高校を退学させられた16歳の少年、ホールデン・コールフィールドが、ニューヨークの街をふらついた時の、悪夢のような3日間の追憶が、湧き上がるように語られていた。一人称で軽快に語る17歳になった彼の言葉は、神経症的で、独特な重苦しい「孤独感」と「優しさ」に満ちていた。

ホールデンは、口は達者だけどコニュニケーションは下手だった。すぐに嘘をつくし、ヘビースモーカーで女好き。大人はみんな敵で、学友とも喧嘩ばかり。一方で、公序良俗的な大人の言葉は嘘っぱちだと見抜き、これを暴こうとする清さに心地よさを感じた。「ステキ」という言葉にインチキなにおいをかぎとる臭覚に、16歳を感じた。

16歳のころの僕はどうだっただろうか。多感な思春期特有の「苦悩」を覚えている。

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自分を振り返れば、「幸運を祈るよ」の大人のお言葉に、嘘を見抜くほど集中していなかった。大人と接することを避けながら、勉強ばかりに時間を割いていた。決められた教育の中で一喜一憂していた高校時代、この小説を読むこともなかった。

狭い世界の中で「孤独」があった。勉強のできる友人に嫉妬していた。ラジオから流れる音楽に逃げ込んでいたのかもしれない。「ライ麦」のような、頭の中だけに存在する非現実的な世界を妄想していたようにも思う。特定の大人ということではないけれど、「ふしだらな競争」ばかりが目につき、社会に嫌悪感を持っていたことを覚えている。

社会人と言われてからのことを思い返した。

ずっと、大人のインチキは当たり前に過ごしてきた。誰かとの競争を強いられてきたようにも思う。物質的な豊かさに価値があると思わされてきた。

やっと、誰かを犠牲にして優位を誇る姿はバカバカしいと気づいた。

そして今を思った。

心と心の思いやりや優しさを大切にしたい。誰かの役に立ちたい。ほめられたい。内面的な価値を追求したい。それは70年前のクリスマスが近い夜、16歳のホールデンが、ニューヨークの街をふらついている時に感じた欲求に近いかもしれない。

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この作品、自分の思春期を思い出し、切なくなった。ずいぶんとイノセントな気持ちにもさせられた。ホールデン少年は、たぶん、・・永遠なのだ。

おわり

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