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vol.72 ゴーゴリ「狂人日記」を読んで(横田瑞穂訳)

精神病患者とされた、ロシアの下級官吏の日記だった。(1835年発表)

ゴーゴリ「外套」にも出てきた小役人が、今度は精神に障害を持つ40過ぎの男として登場していた。僕には印象深い、いわゆる『ペテルブルグもの』だ。

概要
長官の令嬢に恋してしまった小心者の「おれ」は、犬が人間の言葉で喋り、手紙も書いているという幻覚をとても饒舌に、日記につづる。彼の病態は日増しに悪化し、やがて自分をスペインの王位継承者だと思い込む。職場でも異常な言動をとる。精神病院に入れられた「おれ」は、身に覚えのないことで酷い仕打ちを受ける。(概要おわり)

奇想天外で滑稽な描写の「おれ」の日記は、妄想や幻覚に悲痛感が漂っていた。ゴーゴリの小説から当時のサンクトペテルブルグを思うと、貧富の差が激しい中で、高慢な高級官僚が闊歩し、下級市民を見下すことが常態化し、中でも「変なやつ」は、「狂人」として暴力的に扱うことが許される社会だった。

精神病研究の資料によると、この物語は、統合失調症の最も古い症例が描かれているとの解説があった。

僕は、社会に馴染めないでいる人たちのNPOを手伝っている。統合失調症で苦しむ当事者も知っている。だから余計にここで描かれている「おれ」の症状に興味がいく。また、精神病患者に対する病院の対応は、いくら185年前の物語とはいえ、その不理解さに驚く。一方、人間の本質として十分にあり得る実態だとも思う。この物語は患者側からの描写だけど、当時の社会福祉政策は、おそらく当事者の声は何も反映されていなかったのだろう。

棍棒で殴りつける。無理やり坊主頭にする。頭から冷水を浴びせる。とにかく強圧的で暴力的で情けもなければ、容赦もない。精神病患者に耳を貸そうともしない。そんな描写が痛々しかった。

「おれはもうたまらん。こんなひどい目にあわされてはがまんができん」と訴えいている。そして「お母さん、このあわれな息子を救っておくれ!この痛い頭に、せめて一滴、涙を注いでおくれ!あんたの息子がどんなにひどい目にあわされているか、まあ、見ておくれよ!」(p219)

この日記の最後に、このように記してあった。当時の社会はこの小説をどう受け止めていたのだろうか。

この物語が発表されて185年経っている。今、日本の精神病患者への理解は、欧米諸国と比べると、大きく遅れていると言われている。未だに社会は、特に精神障害を持っているものに対して「触らぬ神にたたりなし」的な空気を感じることがある。障害者福祉に携わる者として、この「狂人日記」は遠い国の昔話として受け流すことができなかった。

先ほどNHKオンデマンドで、「心の傷を癒すということ」をみた。精神科医を演じる柄本佑さんの「僕は人間の心が知りたいだけ」の言葉にグッときた。障害者を避けるのではなく、関心を持つ社会は、安心感できる。人の役に立つかもしれない行為は心地いい。

「狂人」ではなく「いろんな心」がそこにある。

今度は、魯迅の「狂人日記」も読んでみよう。

おわり

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