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vol.75 ドストエフスキー「白夜」小沼文彦訳

「ナースチェンカ、おお、ナースチェンカ」

ついつい、クスッと笑ってしまうこの夢想。どうやっても喜劇なのだけれど、ペテルブルクに住む名もない孤独な青年が愛おしい。

ドストエフスキー初期の短編、バレンタインデーの夜に「感傷的ロマン」を読んでしまった。

1848年、ペテルブルクの白夜を想像する。YouTubeにあったイタリア版映画で、想像を膨らませる。



この小説、孤独な青年の淡い恋心が、幻影だったようにくずれ去る夢想家ドストエフスキーの思い出話。

夜10時過ぎ、孤独な青年は運河に沿った道を歩いている。少し離れたところに、運河の欄干に身をもたせかけて、一人の女性が立っていた。彼女はとても可愛らしい黄色い帽子をかぶり、しゃれた黒いケープをはおっていた。彼女の名はナースチェンカ。(p13)

一人ぼっちの夢想家の青年は、なんとも乙女チックラブコメ的なナースチェンカを愛してしまった。

第一夜から第四夜までお互いの愛を語り合った二人。最後にナースチェンカは堂々と言い切る。『ああ!ほんとにあなたはすばらしいお友達ですわ!・・・あたしがお嫁にいったら、あたしたちはみんなとても仲のいいお友達になりましょうね。あたしあなたを、ほとんどあの人と同じように愛し続けますわ・・・』

ナースチェンカ、それはないだろ!ひどい侮辱じゃないか。

僕はドストエフスキー「貧しき人々」の小役人マカールが好きだ。ゴーゴリ「外套」の下級役人アカーキイにも会いたくなる。彼らが住むペテルブルクを、頭の中で勝手に魅力的な街に仕立てている。しかし、そのペテルブルクにはナースチェンカがいる。そう思うと街があせてくる。

白夜が明けた朝を迎えた最終章、なんともえげつないナースチェンカの手紙が届く。『おお、お許しください、どうぞあたしを許してください!・・・あれは夢でした。まぼろしだったのでございます・・・どうぞお忘れならずに、いつまでも愛してくださるように、あなたのナースチェンカを』

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青年の思い、最後の文、「ああ!至上の法悦の完全なひととき!人間の長い一生にくらべたら、それは決して不足のない一瞬ではないか?」

どういう意味だろう。ひどいフラれ方をしても、傷つきたくない自分の心が、濃密だった白夜の時間を一瞬だったと思い込ませてしまうのだろうか。僕の少ない経験上、愛でも恋でも揺れ動く気持ちは、相手をあざむきやすい。自分でも本当の気持ちがわからなくなる。

せめてナースチェンカよ!『ああ、もしあの人があなただったら!』とか、思わせぶりはやめてほしい。彼を引きずらせないでほしい。

こんな小説はほっぽり出して、切ない男心を楽しもう。大瀧詠一の「Blue Valentine's Day」で、おやすみなさい。

おわり



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