見出し画像

ZINEと小商い

最近、ZINEを作る人が増えている。
ZINEというのは手製の小冊子のことで、同人誌と比べて少人数で制作され(多くの場合は一人)、内容がシンプルでおしゃれな装丁のものが多いのが特徴である。

私が持ってるZINEたち

私は書店員として働いているのだが、レジに立っていると「自分が作ったZINEをこの店に置いてくれないか」と聞かれることがたまにある。
ようは作者みずからが書店に営業しに来るのである。
作者といってもプロの作家と言うわけではなく、普段は会社員として働き、自己表現としてZINEを作っているという人が多い。
そういうわけで、ZINEの質や内容も様々であり、「おっ」と思えば買い取るし、「この内容はちょっとウチには合わないな」と思えば買い取らない。

何が言いたいかというと、その場では"個人 対 店"で経済が発生しているということである。
今までは、出版社の本を書店が仕入れる"企業 対 店"の仕入れが当たり前だったが、ZINEという概念ができてからは、"個人 対 店"の関係が構築されてきているのだ。

私はレジでそんなZINEの"商談"を経験するたびに、"小商い"の気持ちよさを感じる。
私は平川克美の挙げる”小商い”の定義が好きなので、ここで引用しておきたい。

拡大よりは継続を、短期的な利益よりは現場のひとりひとりが労働の意味や喜びを噛み締めることのできる職場をつくること。
それが生きる誇りにつながること。

小商いのすすめ

ZINEの著者は自分で文章を書き、自分で編集し、自分で製本して、自分で営業する。
「世の中のことなんて大抵は責任とれないけれど、この一冊だけは自分で責任をとれます」というような生き生きとした表情で話してくれる。
そして私はその本を、自らの責任で仕入れるか仕入れないかを決め、仕入れる場合は、その場で現金を渡して買い取る。
この資本主義社会のなかで、その数分だけはお金を超えたやりとりが生まれる。

そもそも仕事というのは元来こういうものであったと思う。
平川克美や坂口恭平が言うように。
それがこの100年ぽっちの間に雇用される働き方が一般的になり、それに呼応するように資本主義が進んでいき、その結果として物質的には豊かになったが精神的には貧しい社会が誕生してしまった。

終身雇用と年功序列などの慣行で特徴づけられる「日本的経営論」は、一九五〇年代に出版されたアベグレンに出自を持つものの、それは日本企業の後進性を象徴するものだった。

商店街はなぜ滅びるのか

そんな息苦しさの中で、一種のカウンターカルチャーとして生まれたのがZINEなのではないか。
自分が書きたいこと、書くべきことを、自分のお金と時間を使って本にする。
お金のためじゃなく、よりよく生きるために。

私はZINEを応援していきたい。
書店員として売っていきたいし、お客さんとして買っていきたい。
そして、自分でもZINEを作りたい。
というか、このnoteの「本のこと」シリーズはZINEを作ることを目指して書いてきたものである。
この「ZINEと小商い」でちょうど10本目なので、これから編集し、製本する予定である。

自分の文章が小冊子と言えども本になって販売される。
そして、誰かが買って読んでくれるかもしれない。
そうしてもらったお金は色がついていて、文章を書き続けるための、ひいては人生を続けていくためのエネルギーになる。

ZINEを売ったり買ったり作ったり。
そうすることで、小商いの輪が広がっていき、その中で"生きる誇り"を持つ人たちが増えていけばいいな、と思う。
もちろん、その中には自分も参加して、輪のはじっこでニヤニヤと笑っていたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?