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再掲載:短編小説「泥棒」



 
 
 都心では珍しい駐車場付きの公園にハイエースが一台だけ停まっていた。天候は秋晴れ。雲も刷毛はけで空を撫でたような巻雲けんうんが全体的に広がっているが公園に子供の姿は一人もない。それもそのはず時刻は既に深夜と言って差し支えない時刻であり、辺りには暗闇が駐在していた。



 暫くして、駐車場に停まっていたハイエース後部座席で携帯のアラームが鳴った。携帯の持ち主が車外に音が漏れるのを気にしてか、音量自体はそこまで大きくない。しかし、十分役目は果たしてくれたようで、アラームが鳴って3秒も経たず、仮眠をとっていた男は携帯を手に取りアラーム音を止めた。男は時刻が深夜2時をまわったのを左手に巻いた腕時計で確認し、ゆっくりとハイエースの後部座席から降りた。上下ナイロン製の黒のジャージを身にまとい、入念なストレッチを行った。




 遠巻きから見ても、男の体躯が一般的なサイズではなく、慣れたストレッチの様子からも何かしらのスポーツに従事しており、トレーニングの最中であるであることは容易に想像できる。しかし、ジャージのポケットに忍ばせた顔全体を覆うフェイスマスクと、自衛隊が愛用するメーカーのミリタリーブーツがそれを静かに否定していた。
 
 



 男はハイエースを停めた公園から15分ほど歩き、本日の目的地である家についた。都心に建つその一軒家は夫婦と4歳になる一人娘が暮らしているが、普段駐車場に停めてある夫のお気に入りの車が1台ない。まだ週末まで2日以上あるのに、娘の通っている幼稚園には「少し、仕事の疲れを癒すために家族旅行のため今週はお休みします」と、妻から連絡が届いている。その連絡からも夫婦が送る生活の余裕が感じられる。つまり、ここに住む夫婦は、これから男が行う〝いけない事〟をしても何ら問題ない生活水準にいるのである。

 


 
 男は明かりもついていない玄関から、まるでこの家の住人であるかのように静かに扉を開け侵入した。男にとってこのような動作は難しいことではない。玄関でブーツを脱ぐような常識も、家の中まで続く闇夜の中では不要であった。男は事前に頭に入れていた順路で歩を進めた。一階のリビングには目もくれず、階段をのぼり3階の一室、夫の書斎を目指した。その部屋のクローゼットの隅に金庫はある。男は落ち着いていた。こんな仕事も慣れたもので、男の脈拍が早くなることなどなかった。〝ビーー〟という警報が鳴り響くまでは。
 



 
 「またお前か?」年配の警察官が男に対して悪態をついた。警察署での取り調べになると、男も落ち着きを取り戻していた。見慣れた部屋に、見慣れた警官が自分を責め立てるからか、非日常感はない。「俺だって、ここに来るのは嫌ですよ。俺の依頼主がまさか警報を切り忘れているとは思いませんでしたもの。そんなミスがあるから俺はあんたみたいなおっさんと顔見知りになってしまう。嫌だねほんと。でも久しぶりだからか、さすがにあの音を聞いたときはビビりました」男は警察官に話すというよりも、親戚のおじさんに話すような安心感をにじませながら呟いた。



 「なんだ、今日は素直に依頼があったと認めるのか?」警察官は少しの驚きを表情に宿し、両肘を机に乗せる前傾姿勢をとった。今にも目の前に座る男を押し倒しそうな迫力がある。「違いますよ、俺の依頼主ってのは、ボスのことですよ。めちゃくちゃ頭良くて、イケメンで、ガタイもデカくて、人格者なんですよ。俺みたいな」男はヘラヘラと笑いながら警察官に応えた。「そんな奴はいないんだろ?依頼主はお前が今夜忍び込んだ夫婦か?」警察官は男に対する追及の手を止めない。「違いまーす。全然知りません。あそこには夫婦が住んでるんですか?」男は尚ヘラヘラしだした。



 その表情を受けて警察官は小声で話し出した「ここ最近、この町で起きている空き巣は〝自称金持ち〟ばかり狙われている。お前は彼らの虚栄心を満たすためにこんな〝空き巣もどき〟をしてるんだろ?その証拠に、空き巣に入られた自称金持ちたちは、一定期間が過ぎると〝被害届を取り下げる〟とかふざけたことを言いだす。俺ら警察は刑事事件として捜査は続けるが、一向に盗まれたものは出てこない。そりゃそうだ、盗まれたものなんてないんだからな。俺はそう考える。でも、なんでそんなことを依頼するかがどうもわからん。空き巣に入られる位金持ちだと近所で言いふらすためか?」警察官の表情には自分の突飛すぎる推理に対する困惑の表情が滲んでいた。



 男は警察官の年齢があと10、いや20年若かったら彼のいう〝自称金持ち〟の気持ちが少しはわかるんだろうとなと思い、切なさの為かつい口から言葉が漏れてしまった。
 

 


 「今の世の中、虚栄心を満たすのは現実だけではダメなんですよ。もう一つの世界でも虚栄心を満たさないと」男の目線の先には、調書作成担当が使っているパソコンがあり、一定のリズムで打鍵音を部屋に響かせていた。
 



 

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