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『読書という荒野』と『ベルリン天使の詩』

『ベルリン天使の詩』の話が『読書という荒野』のあとがきに書かれています。ヴァルター・ベンヤミンというユダヤ人哲学者が、ナチスドイツから逃れられずに服毒死し、そのときベンヤミンが持っていたパウル・クレーの天使の絵からインスパイアされてヴィム・ヴェンダースが撮った映画で、カンヌで監督賞ももらっています。

この『ベルリン天使の詩』では天使というのは「純粋認識者」の象徴、人間は「実践者」の象徴として描かれています。天使は永遠の命をもち、何事からも距離を保ち、未来を見通せる観察者です。一方の、人間は関係をもち、対象に近づき、傷つくこともあり、血も流します。でも、近づき、関係性をもつことの楽しさも感じる存在です。

ベルリンで撮った映画だし、カントの『純粋理性批判』とかベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』の影響もあると思われます。ヨーロッパでは「孤児」は、教会の経営する孤児院に預けられることが多く、教会の孤児院にいる孤児たちは、「天使」と呼ばれています。神と自分の関係性を、人間関係の絶対値にしているからでしょうか。というようなことは中森明夫さんのコラムで知りました。

話が横道にそれましたが、僕がいいたかったのは、今、コルクで経理の仕事の整理を手伝っているのですが、左斜め前にいる佐渡島くんが、「実践者」であることが大事だと、ことあるごとにメッセージを発しています。彼自身も実践者です。

だれでも人はこの「実践者」と「純粋認識者」の間にいます。僕は自分でも「純粋認識者」のほうにだいぶ近い人間だとわかっていて、苦手な「実践者」の方に近付こうとしてきました。だけど、コルクという場に毎日のように足を運ぶようになって、自然と「実践者」に近付こうとしている自分に驚いています。

それで、僕がたまに冗談のように、かなり深く知り合ってる人に「天使です」と自己紹介するのは、この『ベルリン天使の詩』のことを知ってる人と話したいという気持ちがあるからなのです。でもこの自己紹介はいままでに1回しか成功したことがありません。というようなことを『読書という荒野』を読んで思い出しました。


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