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信じるものはいくつあるか?


信じるものはいくあるか?

信じるものはいくつもある。

綺麗な水を見れば、食器をちゃんとその日のうちに片付けて清潔を保とうという美意識とか、

思い出の人たちがその角でコーラを飲みながらパーティーをしてるのをどこかで眺めてるとか、

もらった言葉とか、

音楽も詩も読書も生活の中の火や水の中にも全てが宿ってて、

まるで意味のないものなどないと八百万の神が万物に在るように、命自体を感じる。

信じるものは幾多にもあって、普通でありふれてるここに幾多にあって、

だから本当は辛いことに嘆いてもプレゼントをあげながら愚痴を言ってるようなものでもあって、

だけど、必死だからそんな自分も許しながらいつかびくともしない強さを持ちたいと思うのだ。

きっと、私は靴紐を結んでる間にみんなが乗ってるバスを見逃した。

それで今ここに別れて独り、歩いている。

その場所で合流するのを夢見て。

思い出の角で合流する時、みんなに言おう。

『炭酸が抜けたコーラは初めてだよ』と、初めてに偶然と必然を乗せて。

今は眺めてていい、

今はまだ頑張るものがあるから、

今はまだ信じるものがいくつもあるから、

ここで歩いていよう。

悲しみにいくつも出会うけど、信じるものはいくつもある。

それを日向にして。

だから余裕や暇な時間が大事。

コマーシャルの間を早送りしないで、ゆっくりゆっくり、この時間を噛みしめるんだ。

君が最後に残したのは愛だった。

私も最後に残すのは愛にして、


生きていきたいの。

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