不愉快な顔
中学生の頃、母親から「お前は顔が悪いから、せめて行儀だけは良くしてほしい」と言われた。
顔は直せないし、親を憎むほど恥じるようなものではないと(自分では)思っていたので、ひがみながらも受け止めてはいた。
とはいうものの、思春期は自分の顔を気にさせるし、地下鉄の窓に映る私はいつも自分を見返してくる。
見惚れるにも値せぬ容姿がどうも気がかりで、それがかえって自意識となった。
大学に入り、初めて恋人ができた。
名のある大学だったし、それまでもそういうことで評価されることは十分にあったが、この時ばかりは自分の見目に安堵できた。
人生における初めての告白が成ったという自惚れも相まってか、自意識は自尊心に飲み込まれた。
夜の電車に揺られても、窓に映る私はいなくて、その向こうの景色が見えていた。
先週、ある映像作品のメイキングをチェックしていた。
関係各所の意向を考慮しながら、仮編集版に目を凝らしていく。
ほんの一瞬、現場にいた私が映り込んでいた。
不愉快な顔だった。
1秒にも満たない映り込み。
カットしても文脈は崩れないし、残しても作品に支障はきたさない。
どうしたものかと、思いあぐねた。
切ってくれと言えば、寧ろ意識していることを露呈してしまう気がした。
そのうち、こんなことを気に病んでいることが怖くなった。
最近、自信がない。
1年半ほど、恋人がない。
自尊心が、自意識へと逆行している気がする。
(文・GunCrazyLarry)
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