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わたしのこと⑩

姉が長くは生きられないと診断されたため、
通院のために通いやすい場所と、残された
人生を快適に過ごせるようにとの両親の
願いにより引っ越すこととなりました。


そこは新興住宅地で小学校が翌年の春に
開設されることになっており、それまでは
近隣地区の小学校にしばらく通うことに
なったのです。


私は小学校3年生の三学期から
初めて転校というものを経験しました。


隣町のその地区は同じ区内でも問題の多い
地域で事件が多く、通っていた時も発砲
事件が2回もあり自宅待機することも
あったのです。


当時わたしは相手のことを男女を問わず

「あなた」と呼んでいました。

今まで通っていた学校ではそれが普通
でした。


転校して本当に驚いたのですが、その学校
では女の子も自分のことを「オレ」と呼ぶ
子もいて、相手のことを「あんた、おまえ」
「きさま」と言うことも日常だったのです。


私が男の子のことを「あなた」と呼ぶことが
一部の子にとってはどうにも気に食わなかっ
たようで、

「あなたとか気持ち悪いったい!」

「奥さんみたいにするな!」

といちゃもんをつけられ、そこからイジメ
にエスカレートしていきました。


今思い返しても3年生で陰湿だと思うのは

トイレに入っていると、絵の具を使った筆を
洗う小さなバケツの水を上から投げてかけら
れたり、

給食後に掃除のために机を後ろに下げる際、
先生がちょうどいない時間帯を見計らって
手を抑えられ、鉛筆を左手の甲に

思いっきり刺されたのです。

今でも、芯の跡が残っています。


毎日家に帰っては泣いていました。


転校生が登校拒否になる気持ちが
自分も経験して分かったのです。


母からは、「郷に入れば郷に従え」と
教わり、私も “おまえ” だの “きさま”
など使うようになりました。


そのことから「柔軟性を持つ」ということを
身に着け、そこからの学びで「適応力」を
伸ばすことができたのです。


人は環境によって言葉も行動も
変わってくるとつくづく感じます。


その場にいると自分が普通であると
思いがちなので、時々自分を客観視
することがとても大事であると思います。


軸がしっかりしていれば、一時的に
誤った方向に行ったとしても必ず
戻ることができると確信しています。




つづく。



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