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いま思えばあの頃、僕が壊れていた原因はパワハラだったのかもしれない。

僕は大学時代、映画評論を学びながら、大好きな友人たちと自主映画を作っていた。座学に実践に、とにかく映画を知り、つくる日々が楽しくて、昼夜問わず、遊ぶみたいな感覚で没頭していた。我ながら、夢に向かって楽しみながら努力する毎日は輝いていたと思う。

当時YouTubeの広告はまだなかったけど「好きなことで、生きていく」と、何の疑いもなく信じていた。

学生時代にたくさん動き回ったことが功を奏してか、在学中に業界の大人の人たちと知り合い、そのまま仕事に繋がったりして、大学卒業後、企業に入ることなくフリーランスとして映画・CMの現場で企画、制作、宣伝などに関わっていくことを選んだ。

この業界の「現場」が激務だということはもちろん聞いていたし、覚悟をしていたけど、実際に体験してみると、想像以上だった。

撮影のときは、誰よりも早くロケ場所に着いて珈琲を入れる、終わると最後まで残って掃除をする、そしてそのまま次の日の資料を作成して印刷し、スタッフ全員の移動・食事・宿泊の段取りをする。漫画喫茶でシャワーだけ浴びて翌日の現場に車で向かう。予算の少ない現場では、来る日も来る日も、それらをひとりで行ったりすることもあった。1週間合計で5時間しか寝てないときがあったことを覚えている。(平均じゃなくて合計5時間)

いま、なぜそんなことを続けられたかと改めて聞かれると「好きなことだから」以外の返答はできない気がする。酷使されるだけ酷使されて、ボロ雑巾のようになり辞めていく、少し上の先輩たちも何人も見てきたが、僕はたまたま体力があったのか疲れに鈍感だったのか、夢に近づいている実感も同時にあったため、踏ん張ることができていた。かといって辞めていった人たちがひ弱で根性がなかったかといえば、そんなことは決してないと断言できる。


ただ、数年経ったあるときから、朝ベッドから出るのが辛くなった。

仕事自体には慣れてきて、やれることも増えてきていた頃、辛くて辛くて仕方がない時期を迎えた。その頃のことを思い出そうとしても、黒い霧に包まれているようなはっきりしない記憶として身体に残っている。

その頃、はじめて辞めることが頭をよぎった瞬間があった。

当時は、肉体的な疲労による苦痛だと考えてしまっていたが、いま思えば、自分の苦しみはパワハラによる精神の疲れが原因だったと思う。取り組んでいたプロジェクトの間数ヶ月、一緒に動くことになった人が非常に威圧的で攻撃的な方(年齢は還暦くらい)で、ことある事に強い語気で罵られていた。

僕が何か言葉を発すると「お前は当たり前のことしか言わないから話す価値がない」と言われ、当初の約束以上の部分の作業に対して追加の報酬を要求すると「金がないなら1日おにぎり1個で過ごせばいい。ダイエットになってちょうどいいだろ」など、毎日キツイことを言われ続けた。仕事の面でも、圧倒的な経験・技術の差があり、兵隊的な作業でしか存在価値がないこともわかっていて、言われるがままだった。

それでも、好きな仕事だからと思って、なんとかストレスをかわしているつもりで懸命に取り組んでいたけど、少しずつおかしくなっていたんだと思う。これはおかしいと自分自身の実感に変わった、今でも忘れられない出来事がある。

ある日、「彼」に伴って外出しているとき、彼が僕の目の前で転んだことがあった。還暦くらいの年齢の人だ、当然、手を差し伸べ、心配の声をかけるのが普通だと思う。少なくともそれまでの僕は他者に優しくありたいと生きてきたつもりだったし、彼を助けないはずがない、はずだった。

だけどその時だけは、助けたら逆上してまた怒鳴られるのではないかという心配が先に頭をよぎり、萎縮して足がすくんでしまった。目の前で転んだ人を前に、ただ突っ立っていた。(かなり無理があるが、気づかないふりをした)


何もしなかった自分が辛かった。

その日の夜から、「彼」が転ぶ瞬間が映像のように頭の中でリフレインして寝付けなかった。心がなくなってしまった、鬼になってしまったと感じて、悲しかった。

それが人生で唯一、辞めることが頭をよぎった出来事だ。

あの頃、人間を壊されていたと思う。

その後も辛い日々は続いたが、その仕事は最後までやり切った。感情の入力をできるだけ抑え、心を無にして日々を淡々とこなすことしかできなかったけど、彼との仕事が終わったあとは、少しずつ元に戻っていった。

いまはそれなりに仕事をコントロールできる立場にもなって時間も経ったので、あの日々のことを冷静に思い返すことがようやくできるようになってきた。

「夢のため、好きな仕事だから、苦しみや低賃金は仕方ない」と何度も自分を誤魔化しながら眠りにつく夜。そんな夜をいくつも越えてここまでなんとかきたけど、それを人に強いて良い訳なんてない。

そして今。自分が無意識のうちに加害者になってしまう日のことをとにかく恐れている。そしてこれまで、自分の知っている範囲で被害が起こったことを見過ごしてきたかもしれないと後悔している。

「自分が若い頃はもっとひどかった」という破綻した論理による支配が循環していくこの業界から良いものが生まれる訳はない。そんなことは言わない。やりがい搾取なんて言葉で描けない苦しみがそこにはある。人が人に、人でないことを強いることはあってはならない。

苦しい人は苦しいと言っていい。また、加害者側は耳を傾け心に刻むしかない。わかったつもりになってはいけない。見逃したくない。僕たちの業界や仕事が、人間らしく生きることを奪ってきた世界であることを改めて深く受け止め、変わるしかない。夢に溢れていたあの頃の自分を肯定するためにも、これから仕事を続けている限り出会うすべての人にこの態度を表明し、取り組みとして実行していきたいと、強く思う。

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