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子どもが産まれた時を ふと思い出す

子どもができたと分かった時、嬉しいよりも気が引き締まる、何とも言えない緊張感が湧いてきた。
私たち夫婦はいわゆる高齢出産の部類に入っていたからだ。
何とか無事に安定期を迎えてほしい。
それはそれは切に願っていた。
無事に安定期に入った。
今度はこのまま無事出産までいってほしい。
それはそれは切に願っていた。
妊娠から出産までの10ヶ月ほど願いっぱなしだった。

結果、無事出産できた。
奥さんも元気だった。
目の前には願いに願った待望の赤ちゃんがいた。
いや、赤ちゃんではない。
赤さん…、赤様と敬称したいような感じだった。
(しかし赤様は言い過ぎなので、赤さん表記でいきます)

願いに願った待望の赤さんを目の前にして、
夫婦揃って感動してボロボロ涙が。
出るのかなと思っていたら、二人とも全く涙が出なかった。
後でその時の感覚を確認しあってみると、不思議なことに二人の感覚は同じものだった。

この赤さんは間違いなく私たち二人の子ども。
それは紛れもない事実で全くその通りなんだけど、
もう一方で自分たちの子どもじゃないような、
神様か天か、すごく神聖な何かから大事にお預かりしているような、
そんな感覚だった。

今冷静に考えてみると、身体と魂は別で、
身体は私たちからできたもの。
魂はどこか上の方から頂いたもの。
そんなようなことなんでしょうか…とか思ったりする。

それから1年半が経った。
赤さんは歩くようになり、何か言葉を発してらっしゃる。
可愛い。
けれどもダメなことをしたり、腹が立ったりした時は怒ったりして。
この頃ようやく、この子が自分の子どもなんだなという自覚が芽生えてきて、
自分のことを「とーちゃん」と呼ばせる練習をさせ始めた。
来月の1年6ヶ月検診に向けて。
間に合わないかな、もう。


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