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Short Story Collection

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心に問いかける短編小説集。
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カーテンコール

カーテンコール

お疲れ様でした。

ふと、そんな言葉をかけられた。
声のする方を見ると、小柄の男性が笑みを浮かべている。フォーマルな格好をしているが、年齢は掴めない。それなりの年齢にも見えるし、随分年下な少年のようにも思える。
年齢不詳とはこのことだと颯介は思う。

「えっと。どちら様ですか?」

そんな問いかけに対しても、表情を崩すことなく男は喋り続けている。ちょっとムッとするが、どうやらここには自分と相

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始発まで、もう少し。

始発まで、もう少し。

このちっぽけな28年の人生でも、かつてないほどの全力疾走をしていた。

履きなれているはずの革靴は、専門外の「走る」という行為に嫌気が差しているかのように、自らの足をずきずきと痛めつけてくる。
許してくれ。僕も本当はこんなことをするのは本望ではないのだ。

「まもなくドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください」
やめてくれと言われなくても、僕はこれまでその場の雰囲気を察し色々なことを諦めてき

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英雄とイエスマン

英雄とイエスマン

 中学の卒業アルバムに掲載されている文集には、「英雄になる」とだけあった。

 英雄の意味さえ曖昧なまま、ただ漠然と続く人生に一つだけでもいいから憧れを持ちたかったのかもしれない。しかし、いくら学生であったとはいえ、「英雄」なんて言葉を実社会で、それも将来の夢として掲げていた自分が今ではとても恥ずかしい。

 第一志望にしていた都内の難関大に合格したものの、高校時代の詰め込み学習のせいなのか、入学

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スワンソング

スワンソング

 久しく思い出していなかったその人を夢に見た。子どものようにころころ笑いながら、懐かしい声で僕を呼ぶ。まだ若者だった頃、凍えるような独り身の時期に求めていた、幸せを感じる瞬間だ。

 やがて水面に浮かぶ無数の白鳥が一斉に飛び立った。バサバサと翼を広げ、冬の澄んだ青空を埋めていく。越冬により三千キロも広大な空を翔ける彼らに、我々人間は憧憬や尊敬という念を抱くべきなのではないか。あの頃にはない考えで遥

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プロポーズ

プロポーズ

「永遠の愛なんて、ないんだよ。きっと」

 夏の日。君は僕に背を向けたまま、そう言った。後ろ髪が潮風に揺れる。穏やかな波の音と海鳥の鳴き声だけが鼓膜に届く。
 二十数年間生きてきた中で初めて、拙いながらもプロポーズをした時の、君の返事。
それは僕にとっては得体の知れない、捉えどころのないものだった。

 君はそれきり何も言葉にしない。このまま振り返ってもらえないような気さえした。
 ただ、水平線に

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つままれる

つままれる

 湿り気をたっぷりと含んだ風が、境内に紅葉を降らせている。

 昨日までは快晴続きだったのに、今日は太陽は顔を出さない。まるで神様が僕にやきもちを焼いているようだけど、そんなことはここでは声に出して言えない。

 会社の関係で静岡から新潟に越して二週間、まず驚いたのは神社の数だ。毎朝、日課であるランニングをしていると、いたるところに神社が目につく。

 どうやら新潟県は神社の数が全国一だそうだ。も

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終点間際のバスジャック

終点間際のバスジャック

「今から、このバスをジャックする」
バス運転手になって十年あまり、今日も穏やかな昼下がりを噛みしめていたのに、平和な日常には似つかないポケットナイフの刃先は、今まさに僕の首元辺りで光り輝いている。

あまりに突然のことで、といっても被害者にしてみれば犯罪はいつだって突然起きるものだとは思うが、やはり僕は困惑した。バスジャックを宣言した男は乗車した際には被っていなかった覆面をし、上下黒ずくめの姿だっ

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奇蹟の惑星

奇蹟の惑星

目の前に広がる暗闇。その果てに何があって、それは果たしてどこに繋がっているのか、誰にも見当がついていない未知の空間に、僕たちの惑星は浮かんでいる。

それは、数万年以上住み着いていた人類が密かに住処を変えようと考えていることなどつゆ知らず、何億年も前から広大な宇宙の片隅で明かりを灯し続ける。そして、あの人類初の有人宇宙飛行を成功させたユーリイ・ガガーリンはこんなことを言った。

そう、《地球は青か

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在りし日の夢想家

在りし日の夢想家

首を動かさず、目線だけで周囲を窺う。少し汚れのついたガス会社の制服を着て、男はタワーマンションのエレベーターに乗り込む。

今日の獲物は半年の密偵期間を経て狙いを定めた人物だ。
起業して五年余りだが、そんな短期間でも業界の稼ぎ頭として台頭し始めた若手の社長。しかし、メディアなどの表舞台にはほとんど立たないため、どのような人物なのかは一般的に知られていない。
その辺りは少々苦戦したが、泥臭く足を使い

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脱皮

脱皮

私がその仕事を始めたのは数年前のことだ。

就職氷河期と呼ばれる世代に生まれ、見事その波に飲まれた私は非正規での仕事を転々としていた。
一時期は一向に改善されない現状に嫌気が差し、いっそ警察に捕まってしまえば働かなくて済むかなと考え、夜中に通り魔騒ぎを起こしたが、結局通りすがりの元大学野球選手に取り押さえられ未遂で終わってしまったこともあった。

そんな踏んだり蹴ったりの私にも、ようやく天職を見つ

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善を急げ

善を急げ

一日一善。

その語源は仏教の六度万行に由来する。六度万行とは、あのお釈迦様が定めた「布施(親切にする)」「持戒(約束を守る)」「忍辱(忍耐)」「精進(努力)」「禅定(反省)」「智恵(知恵を高める)」の六つを指している。
そして、この六つのどれか一つでも良いから一日の中で実践してみなさい、という教えが「一日一善」の由来になったというのだ。

ああ。なんて素晴らしい教えなのだろう。

僕はこの一日一

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ウクレレ弾きの冒険

ウクレレ弾きの冒険

潮の匂いに満ちた海風が吹いている。
港町に生まれた僕の友だちは、ずっと昔から青々とした海だった。

母はピアノを習わすことに熱心だったけど、僕は小さなウクレレを持って誰もいない灯台の下で好きな歌を弾くのが好きだった。それを、自由に飛び回るカモメや、遠くに見える家々や、気まぐれな波の音に披露することが楽しかった。

そんな僕を褒めてくれたのは、いつも父だった。
「世界は楽しんだ者勝ちさ。それを忘れな

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エガオとナミダ

エガオとナミダ

 エガオとナミダ。それは決して出会わない者同士。

 でも、この世界で二人は幼なじみとして出会いました。それは運命のいたずらか、それとも……。

 様々な感情や表情が個々に生きている世界。感情や表情というのは人間でさえも把握していないものも多く、実に数千の者たちがこの世界で暮らしています。

 その中でも輝かしい存在感を放つエガオは活発な子で、いつも周りには多くの友達がいました。たくさんのことに興

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夏空切符

夏空切符

 真夏の中をひた走る列車の窓から、光り輝く夏空が見えた。
 心地よいほどの青に溶け込む入道雲。鳥は羽根を広げて、僕らを見下ろしている。

 君と見た青空。

 気づいた時には、もう遠くに行ってしまっていて、もはや目で追うことしかできない。自分がどれほどちっぽけな存在なのかを嫌というほど思い知らされる。

「空を飛べたら、もっと自由なのかな」

 君は僕を見上げて言った。できるだけ空に手を伸ばしてみ

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