やなせたかしの優しい屁理屈【2月6日は誕生日】
わたしは60代だから、年代的に「アンパンマン」は知らない。わたしには子供もいないから、子供と一緒に見るということもなかった。
やなせたかしと言えば、わたしには「手のひらを太陽に」(1961)、そして「勇気のうた」(1968)です。
「アンパンマン」がなくても、この2曲の作詞家として、じゅうぶん歴史に残るでしょう。
やなせは大器晩成の典型のように言われるけど、1960年代から天才でした。もっとも、1919年生まれのかれは、当時すでに40代でしたが。
「手のひらを太陽に」は、わたしの子供の頃すでに古典でした。あまりにも有名なので、ここでは「勇気のうた」を語りたい。子供の頃あんなに聞いたのに、最近あまり聞かないから。
「勇気のうた」は、新曲として小学校のとき聞きました。少年合唱団が歌うのを、たまたまナマで聞いたのです。
歌詞の内容が恐ろしく、戦慄をおぼえ、小学生のわたしには、しばらくトラウマになりました。初めて聞いたときの会場の様子までおぼえています。だだっ広い体育館で、体育座りして聞いたのです。
とくに、砂漠で水がなくなる、という1番の内容がコワかった。
1960年代、高度成長期でぬくぬく育っている子供には、ありえないシチュエーションです。想像したこともない、過酷な環境を、いきなり想像させられる。
そして、「飲まず食わずに1週間」なのに、「勇気」いっぱつでなんとかなる、という不条理。恐ろしかった。
これは、冬山で遭難した人が見るという、最期の幻覚のようなものを歌った歌だと思った。マジ、悪夢にうなされるほど、インパクトある歌だったのです。
戦中派の「理屈じゃない」世界
考えてみれば、「手のひらを太陽に」の歌詞もめちゃくちゃです。
というか、考えるまでもなく、めちゃくちゃです。
なんでミミズやカエルが友達なのか。
ぼくらはみんな生きている。生きている「から」、と論理的接辞で説得するように見せかけて、論理が超飛躍してる。せいぜい「屁理屈」ですよね。
天才バカボンパパの「なのだ」的不条理断言です。
「カネがない奴はおれんとこに来い。おれもないけど心配するな」
と同じナンセンスを、まじめに歌っている。
最近、「兵隊作家」火野葦平のような戦中派作家の研究をしているので、わかるのです。
火野葦平とやなせたかしには共通した特性がある。
「理屈じゃない」ところ。
かれらは、「世の中で大切なことは理屈じゃない」と思っていて、「理屈じゃないこと」を言うのが詩だと思っている。ちなみに、火野葦平もたくさん詩をつくっています。
そして、火野葦平について書いたとき触れたように、そうした世界観は水木しげるにも共通していました(水木は火野の原作で漫画を描いている)。
戦後は「理屈」の世界でした。
日本は不合理な精神主義で戦争に負けたから、合理主義で生きなきゃいかん、ということになった。
だから、戦後の日本人は、いまにいたるまで、「理屈」を言う世代です。
いま、ここで書いているようなのも「理屈」です。
でも、戦中派は、「理屈じゃない」世界観が身についていました。
戦後の若者は、戦中派から、「理屈を言うな」とよく叱られたものです。
火野葦平もやなせたかしも、理屈がとおらない世の中で青春を過ごしました。
やなせたかしは、銃を撃つ兵士ではなく、軍のデザインの仕事や、宣撫工作を担当していた。
日本の「大東亜戦争」の理念を(紙芝居などを使って)中国人に宣伝する仕事でしたが、その過程でいっそう、理屈では人を説得できないことを学習したのではないでしょうか。
ミミズだって、カエルだって・・の歌詞を聞くと、
中国人だって、インド人だって、みんなみんなアジア人なんだ、大東亜の友達なんだ
という「裏の意味」を感じる。
「勇気のうた」だって、子供の歌というより、兵士に与える戦場訓のよう。あえていえば軍歌のようです。
これはまあ、考えすぎですが。
ストレートなわかりやすさ
もちろん、やなせたかし自身は、根っからのアーティストで、軍人気質はまったくないけれど。
でも、身についた戦中の価値観は、戦後も持続したのではないでしょうか。
戦後の「理屈」の世界のなかでは、「浮いた」感受性の持ち主だったのではないか、と。
みんなが理屈っぽいことを言う、メジャーな文化状況のなかではなじめず、自分だけの「理屈じゃない」ポエムの世界を追求していた。
だから、才能は認められながらも、なかなかメジャーな舞台では認められなかった。
わたしは、戦前・戦中を全否定するような戦後イデオロギーは嫌いなんです。
やなせたかしは、戦中に日本人を追い詰めた「精神主義的なもの」を、「優しい屁理屈」に転換して、戦後の日本人に与えた人ではないか、と。
「アンパンマン」も、理屈じゃない世界でしょう。
理屈じゃない世界を、大人は理解できなくても、子供は理解できたわけですね。
かれの表現は、わかりやすい。
「勇気のうた」では、いきなり「暑い砂漠に」と、聴衆を舞台の真っただ中に叩き込む。
「手のひらを太陽に」も、「ぼくらはみんな生きている」といきなり核心を歌う。
そういう表現の飾りのなさ、ストレートにわかりやすいのが、彼の芸術の特徴です。
それも、筋道たてて説明しない、理屈を超えたところを目指しているからだと思います。
そういう表現を、長年のあいだ洗練させていき、たどりついたのが「アンパンマン」なのでしょう。
よく知らないけど、飢餓で苦しんだ人を戦中にたくさん見たので、アンパンマンをつくった、みたいなことを言っていたと思う。
それも、理屈じゃないところを、あえて理屈で説明する、理屈以前の「屁理屈」だな、と感じるけど、かれらしい「優しい屁理屈」だ。
そんなふうに思うわけです。
孤独な表現者
「アンパンマン」は子供向け、しかも小さな幼児向けだから、やなせたかしの芸術、かれの天才は、いまだに正当に理解されてないかもしれない。
彼の表現は、「文学」「詩」「漫画」「アニメ」、どの典型にも収まらないから、評価されにくい。
作家、芸術家としては、過小評価されている印象がある。
晩年のやなせさんに、取材で会ったことがありますが、ご承知のとおり、すでに自己完結的な「エンターテーナー」になっていました。
人間的温かみは最後まであったとはいえ、すでにやりたいことをやりつくした、仙人みたいな感じでした。
もうだれにも理屈を言う必要のない世界のなかで、自己解放しているようでした。
そして同時に、不思議なことに、「孤独な人」という印象をもちました。
考えてみれば、やなせさんは、同時代にはあまり評価されず、いつも時期がずれて受け入れられた、そういう運命の人でした。
最後は、同世代はみんな死んで、自分だけ生き残っていた。
後半生で、これ以上ないほどの成功を収めたとはいえ、そういう意味では、いつも孤独な表現者だったのではないでしょうか。
やなせたかし夫婦を描く新しいNHK朝ドラの内容は、まあどうせ「反戦平和」イデオロギーで描くのだろう、と想像できますが。
でも、やなせたかしの芸術を再評価する契機になればいいなと思っています。
2月6日はかれの誕生日。生きていれば105歳でした。
<参考>
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