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「余命」で生きる

人は、生まれてから何年、で年齢を数えるけど、それにそんな意味があるんですかね。

死ぬまであと何年か、のほうが、よほど重要なはずです。


これは、重病で余命何年、と宣告されている人を、ちゃかしたり、軽く見たりする意図はありません。

だけど、余命何年と医者に宣告されなくても、みな事実上、余命宣告されているわけです。


猛スピードで車が眼前に迫れば、あなたは死を覚悟するでしょう。

しかし、いまこの瞬間も、あなたに向かって猛スピードで車が走っている。

その車が、まだ遠いから、見えないだけですね。

実際、歳をとるほどに、体の中で、死への引き金となるものがいろいろ育っている。まだ医者にも見えないだけで。


そんなこと言っても、いつ死ぬか分からないから、仕方ないじゃないか、と言われるかもしれないけど。

そこは、平均余命で考えればいいと思うんですよ。男は81歳、女は87歳。

そんないい加減でいいのか、と言っても、20歳で成人とか、60歳で還暦とかいうのも、だいたいで、いい加減なものでしょう。「平均」的な考えで、みんな年齢を考えているのだから、平均余命を基準にしていいはずです。(がんで宣告される余命だって「平均」です)


平均余命まであと何年、という数え方を、たとえば、「残歳」とする。

いま40歳の男は「残41歳」、いま65歳なら「残16歳」ですね。


その「残歳」で考えると、今後の人生設計が考えやすくなると思うんです。

「残41歳」の人は、何歳で仕事をやめないと、じゅうぶんな自由時間が残らないな、とか。

「残16歳」の人は、あと16年である程度貯金を使い果たさなきゃ、とか。


で、平均余命を過ぎると、「余歳」で数える。

90歳の男は、「余9歳」ですね。

「老老介護」なんて言うけれど、「残16歳」の人が、「余9歳」の人を介護している、と言ったほうが、事態が明確になると思う。

(「余り」という言い方は、よくないかな。定義さえ明確なら、言葉にはこだわらないのですが。「恵9歳」でも「寿9歳」でも、なんでもいい)


こんなことを考えるのも、60歳を過ぎてから、「生まれてから何年」という数え方は意味がないな、と実感できるからです。

ある程度、歳をとればだれでも、誕生日をむかえるたびに、寿命が縮んでいくのは実感するでしょう。その実感に忠実な年齢表示がいい。

というか、老人になると、これまでの年齢の数え方で生きていたら、いろいろ油断が生じて、あぶないな、と思うのです。

まあ、人生の折り返し、40歳を過ぎたら、健康であっても、「生まれてから何年」の年齢は捨てて、心の中で「残歳」に換算して生きたらどうでしょう。



<お詫びと訂正> 当初、日本人の平均余命「男80歳、女84歳」としていたのを、最新の数字(81歳、87歳)に直しました。テキトーですみません。(2月6日8:30)




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