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人間三百六十五日、 何の心配も無い日が、 一日、いや半日あったら、 それは仕合せな人間です_太宰治

GWも終盤に差し掛かり帰省ラッシュに差し掛かる今日この頃、皆様移動の際は十分に気をつけてください。

昔、私の知り合いが信号が赤で止まっていたところ、後ろから衝突され首から下全部が麻痺になってしまいました。今は無事回復し、歩けるまで戻りましたが自分がどれだけ気をつけていても巻き込まれてしまうこともあります。一人一人が安全運転を心がけてくださることを切に願うまるやまです。


さて、本日は日本の小説家『走れメロス』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』などで有名な太宰治氏の名言を紹介します。


人間三百六十五日、 何の心配も無い日が、
 一日、いや半日あったら、 それは仕合せな人間です



皆さんは『幸せ』と『仕合わせ』の違いや使い分けをご存知ですか。私はこの名言に出会って、知らず調べました。

「しあわせ」という日本語の語源は、「し合わす」だとされています。「し」は動詞「する」の連用形。つまり、何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」だということになります。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」ですね。

自分が置かれている状況に、たまたま、別の状況が重なって生じること、それが「しあわせ」だったのです。そのため昔は、「しあわせ」とはいい意味にも悪い意味にも用いていました。

偶然めぐり合った、よい運命も悪い運命も、「しあわせ」だったのです。

現在の私たちは、語源のことはすっかり知らず「しあわせ」ということばを使っています。「仕合わせ」と書く場合、「仕」は当て字ですが、「合わせ」の方に、「しあわせ」が本来持っていた、偶然性の名残を見ることができます。

たまたま訪れてきてくれたハッピーな状況のことを表したいときには、「仕合わせ」と書くのが好まれるというわけになります。

人は常に不安や心配事と隣り合わせな生き物です。もしあなたが心配事なく過ごせる時間が半日もあるとすればそれは仕合わせ(幸せ)なことと言えるでしょう。

私は日々、後悔なく自分のやりたいことをやっているため、不安や心配事がある日が半日もありませんが・・・wとっても仕合わせモノです!!


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