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私も整形しなきゃ。

日本でも、整形に肯定的な風潮が段々と生まれてきた。

私は長らく、整形反対派だったが、最近は「整形慎重派」にシフトした。

整形は本来、個人の問題であるので、整形するか否かは本人の自由だと思うのは、昔から変わっていない。
だけど、整形に高いお金を使ったり、必要以上に見た目を気にしたりするより、中身を磨く事にお金を使うべきだと考えていた。
最近は、毎朝鏡を見て溜め息をつくぐらいなら、思い切って整形した方が、自分を好きになれて良いのではないかと思っている。
だが、あくまで「慎重派」。
整形が珍しくなくなってきたのは、ここ数年の話。
何十年間も整形を続けて身体に影響はあるかなど、時間が経ってみないと分からない。
そもそも、整形自体が、失敗する可能性だってある。
整形とは、言ってしまえば、博打のようなものだ。
整形をするなら、将来の健康や失敗した時のリスクと引き換えに、現在の美を手に入れる覚悟がないといけない。
そう言う意味で、整形に当たっては、よくよく考えて判断するべきと言う事で、「慎重派」。

そんな私は今のところ、整形しようと言う計画は無い。
但し、それでも、見た目へのコンプレックスは沢山ある。リアルで交流のある友人からは意外に思われるかもしれない。

身体や顔のパーツにおいて、どこがどうというコンプレックスも勿論あるが、1番大きいのは、「見た目年齢」へのコンプレックスだ。

私は現在26歳で、次の3月には27歳になる。
初対面の方、特に自分よりうんと年齢が上の方と出会った時、私は大体、20〜23歳くらいに見られる。
40歳過ぎれば、若く見られれば見られるほど嬉しいだろうが、20代ではそうはいかない。

「人は見た目が9割」というタイトルの本が、ちょっと昔に流行った。
私は読んだことがないので、どんな内容か知らないが、確かにそうだと思う。
というより、今までの経験や苦労は、その人の見た目の表情や立ち姿になって表れると思う。
若い時に相当な苦労をしている人は、時に実際の年齢より見た目年齢が非常に上に見えるが、20代で言えば、これは褒め言葉なのだ。
「老けている」のではなく、「落ち着いていて、肝が据わっている」。

客観的に察するに、私はこの「大人として落ち着き」が足りないのだと思う。
私はとりたてて童顔でもないし、キャピキャピした性格でもないので、そういう所から来る良い意味の若さではなく、要は単に「子供っぽい」のだ。

経験が足りず、自立していない。多分、そういう事。

話を整形に戻すと、人は何の為に整形するかと言えば、人により色々理由があると思うが、結局は「自己肯定感を上げる」ため。
目が一重だとか、鼻が低いとか、えらが張っているとか、他人は意外と、そんな事は気にしていない。だけど、自分は気になるから、それで自分に自信が持てるようになる為に、整形をする。

私の自己肯定感はきっと、整形では上がらない。
私の見た目コンプレックスは、中身に起因するものだから、私には、「中身の整形」が必要だ。

仕事や恋愛における多様な経験、海外生活や語学力、そういうものが、他人から見てどうかは分からないが、自分にとっては、自分に自信を持てるほどには足りていなくて、それが「見た目年齢」という指標になって指摘される度に、下を向いてしまう。

今の私は、やりたい事をやる前に、コンプレックスを減らす作業をして、自分に自信を持つことが、何より重要な気がする。

もう20代後半。30歳までには必ず、このコンプレックスから抜け出したい。
「これが出来ない、やったことない自分なんて嫌だ。」
そう感じる物事には、全部挑戦してみなくちゃ。

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