31年、第二次若槻内閣は満州事変の対応に追われる中、安達謙蔵内相が造反し、閣議をボイコットした上に内務大臣の辞表も提出しなかったせいで、閣内不一致で総辞職した。…
はじめに1927年4月17日、第一次若槻内閣が諮詢した緊急勅令案が枢密院にて否決され、内閣は総辞職した。枢密院の審査が内閣の更迭に直結するのは日本の歴史上、初めての…
はじめに「選挙権は憲法に依りて天皇より附与せられたる至高至重の権利にして、これを享受するの幸福を得たる臣民は、何人よりもこれを犯さざることなきの特権を有するの…
はじめに1934年、大手新聞である時事新報に掲載されたある一記事を発端に、政財界の大物を中心とする一大疑獄が発覚し、それが大蔵省に飛び火。ついに疑惑は内閣の重きを…
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2021年3月20日 14:26
31年、第二次若槻内閣は満州事変の対応に追われる中、安達謙蔵内相が造反し、閣議をボイコットした上に内務大臣の辞表も提出しなかったせいで、閣内不一致で総辞職した。安達は立憲同志会時代からの最古参で、民政党の重鎮であるが、そんな彼が何故民政党内閣を破壊する行為に至ったのか、昭和史の謎の一つであった。安達の造反の直接の理由は、安達が推し進めた協力内閣運動(政友会・民政党大連立内閣)が若槻首相によ
2021年3月13日 14:25
はじめに1927年4月17日、第一次若槻内閣が諮詢した緊急勅令案が枢密院にて否決され、内閣は総辞職した。枢密院の審査が内閣の更迭に直結するのは日本の歴史上、初めての出来事であり、世間では枢密院の陰謀や、枢密顧問官である伊東巳代治が幣原外交を嫌ったためだと噂され、昭和史の定説となりつつあった。その後、当時枢密院議長であった倉富勇三郎の日記の解読(倉富の文字は難読である事で有名)が進むにつれ、
2021年2月13日 11:27
はじめに「選挙権は憲法に依りて天皇より附与せられたる至高至重の権利にして、これを享受するの幸福を得たる臣民は、何人よりもこれを犯さざることなきの特権を有するのみならず、国家忠良の民としては何人にもこれを犯さしめず、またこれを汚さしめざるべきの義務を有す」戦前において投票は天皇から与えられた権利であり「義務としての投票権」「不正選挙は不臣行為」というスローガン通り、有権者は慎重かつ厳粛に義務
2021年2月11日 15:47
はじめに1934年、大手新聞である時事新報に掲載されたある一記事を発端に、政財界の大物を中心とする一大疑獄が発覚し、それが大蔵省に飛び火。ついに疑惑は内閣の重きを為していた高橋是清蔵相の足下まで及び、斎藤実内閣は総辞職した。帝人事件が従来の疑獄事件と様相を異にするのは、その公判の過程で、事件そのもののでっち上げが判明からである。37年12月16日に東京地方裁判所は被告人全員に無罪判決を下