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川西のカレー屋~ケプリとミルズ~



 川西能勢口に二つのカレー屋がある。スパイスカレーミルズとケプリだ。両店の社長は久木田郁哉(29歳)。ミルズはアステ川西という阪急の複合商業施設の地下一階、阪急百貨店食品売り場入り口の目の前にある。また、アステ川西の東の交差点を渡った先に藤ノ森神社という小さな神社があり、その近くの古い長屋の様な建物が並んでいる一角がある。そこにケプリはある。
 このほど、この二つのカレー屋が川西の地域に根を張り、川西の人の賑わいや、新しい人々の交流を生み出している。噂が噂を呼び、この二店舗の動きに共鳴して、川西で店をやってみようという人が増えており、実際にラーメン屋やサンドウィッチ屋などを開業する人が出た。2021年9月現在、開業予定の店も複数あり、久木田はそれを大事に育てている。川西で新しい地域社会の経済活動が徐々に生み出されつつある。ここではミルズとケプリという二つのカレー屋が何をやっているのか、何がやりたいのか、それをご紹介しようと思う。



1.始まりのカレー屋、ケプリ
2.スパイスカレーミルズ
3.子ども食堂ケプリ
4.久木田郁哉社長
5.全国のカレー屋と工場ケプリ
6.カレー屋の社会福祉と職業訓練
7.藤ノ木三角広場でのお祭り
8.川西を起業の街にしたい
9.川西への移住、川西からの巣立ち
10.全国でカレー屋をやりたい人募集


 

1.始まりのカレー屋、ケプリ

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 ケプリは神社の隣の長屋で、非常に小さな店だが、毎日中に人がいて、カレー粉の製造とお客さんへのカレーの提供を行っている。昼は11時半から13時半まで、夜は17時から19時までの短い営業だ。営業時間外はカレー粉工場になっている。
 ケプリは久木田郁哉が2018年3月に開業した。開業当時はコーヒー屋をやっていた。そのため今でもケプリの店の上には「ケプリコ」と書かれてある。ケプリコはケプリ・コーヒーロースターの略なのだ。初期の頃は生豆を沢山仕入れて人に売ったり、豆を焙煎してコーヒーを淹れて商店街で無料で配ったりしていた。その時一緒にケプリのチラシを人々に渡し、ケプリを知ってもらう努力をしていた。ケプリの始まりは小さなコーヒー屋だった。
 2018年7月7日からケプリは商品としてカレーを提供し始めた。ケプリくらいの小さい店でコーヒーを売っていても商売としては非常に小規模なもので、地域の人の寄り合い所の様な機能は果たしても、それ以上に発展しなかったので、業容拡大のためにカレーを提供し出した。
 インドカレーとして提供・販売し始めたが、久木田はインドに行ったことはなく、カレー作りの訓練も受けていなかった。久木田は参考書やインターネットで情報をかき集め、独自の研究開発を行い、具材とスパイスを煮込むだけで誰でも簡単に10分でカレーが作れるスパイスカレー粉を考案した。これがケプリのチキンカレー粉である。
 ケプリでは今でもコーヒーは出していて、店内で飲めるし、豆も販売している。これに物販でカレー粉も加わり、カレー粉の種類も、スリランカ風フィッシュカレー粉やキーマカレー粉などが増えて行き、店内は賑やかになった。店内はコーヒーや多様なスパイスの匂いが香る。
 地域の人々の寄り合い所としての役割も続いていて、久木田を訪ねて来る地元の知り合いや、久木田に起業相談に来る人、4で紹介する子ども食堂関係者、ミルズよりもケプリが好きな古くからのお客さんなど、多様な人々がケプリを訪れる。
 2018年から提供し始めたカレーが徐々に地域に浸透してお客さんが増え、2019年からケプリは忙しくなった。そこでもう一店舗できたのが、スパイスカレーミルズである。

2.スパイスカレーミルズ

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 ミルズの店内では、常にカウンターの奥でカレーが煮込まれ、客席ではお客さんがカレーを食べている。レジの通路側の棚にはお家で簡単に作れるカレー粉シリーズが並んでおり、通路を通る人達が一目で商品一覧を目にすることができる。種類の違うカレー粉ごとにパッケージが色分けされており、ミルズの明るいデザインと相性が良い。
 元々は2019年10月から、JR宝塚駅直結の商業施設に、スパイスカレーミルズ宝塚店という店をオープンしていた。2019年はケプリのカレーがヒットし、知り合い伝手にケプリで働きたいという人も増え、ケプリが手狭になっていた。そこで、久木田はケプリのカレー粉を基にしたカレー屋で、それをアップグレードした店舗を作り、業務と管理を徹底的に簡単にした経営手法でどこまでの店が作れるかを試したいと思い、ミルズを作った。店のデザインは久木田の友人で、深夜喫茶マンサルド店長の山本亜周さんという若いデザイナーに頼んだ。マンサルドも久木田が起業支援をしてできた店だった。宝塚ミルズはコロナ等の諸事情で2021年3月に閉店することになったが、そこで蓄積されたノウハウが、川西ミルズを生むことになった。
 2020年4月から川西ミルズはオープンした。コロナ問題が始まって行く中での開業で不安もあったが、アステ川西の中に非常に好条件の立地で空きが出ていた今の物件を見て、思い切ってやってみようと思った。
 ミルズは川西能勢口駅南側のアステという商業施設の中にあるが、駅の北側のモザイクボックスという商業施設1階にわくわく広場という所があり、そこには地元の生産者が商品やお弁当を置ける場所がある。ミルズも毎朝カレーのお弁当をわくわく広場に置いており、またそのレジの近くにはお家で簡単に作れるミルズのカレー粉各種も置かれている。

3.子ども食堂ケプリ

 ケプリには子ども食堂としての側面もある。社長の久木田が友人のえらいてんちょうの提案を受けて2019年から始めた。
 コロナが始まった2020年の6月頃、学校給食が動いておらず、その時は子供が沢山来た。ケプリの営業時間ならいつでも、18歳未満はチキンカレーを無料で食べることができる。大盛りなら100円のみをお支払い頂く。これを書いている筆者はケプリ従業員だが、店番をしている印象では、来ている子どもは中学3年生くらいが一番多いように思う。
 コロナが始まった時期、川西の農家の方から電話があり、タマネギを学校給食に卸す予定だったが給食が動いていないので、30キロほど引き取ってくれないかとの提案があり、寄付という事で受け取った。ケプリの従業員全員で手分けして皮をむいてスライスして、子ども食堂のチキンカレーに使った。
 ケプリの電話にはよく子ども食堂に関する問い合わせの電話がかかってくる。どういう目的でやっているのかを尋ねる電話や、地元の生協(コープこうべ)からの食材の寄付、ボランティアをしたいという話、インタビューしたいという学生、地域振興の関係者の久木田への問い合わせ等、様々な電話だ。
 2021年3月には子ども食堂卒業生が挨拶に来てくれて、大学に受かったと報告してくれた。この子は第一志望だった大学に受かっていたら、川西能勢口が近いのでケプリかミルズで働きたいと言ってくれていた子だった。子ども食堂の卒業生がカレー屋でバイトをするというコースは久木田も常に用意している。
 カレー屋と子ども食堂というのは実際に相性が良く、カレーは食べ物としては製作も提供も簡単で、保存も効くので、我々ケプリ従業員としてもやっていて負担はない。従業員は常にカレー粉を製作したり足りなくなった商品を補充するするなどの仕事をしているので、特別、子ども達に何か働きかけたりする訳でもない。公共機関から子ども食堂のための運営費なども全く貰っていないので、商業ベースの店で本当に素朴に、チキンカレーを希望する子ども達に無料で出すというのを2年間続けている。また、実は市民からの寄付は受け付けていて、店内のカウンターの上に置かれている黄色いかわいいゾウの形の子ども食堂募金箱に、お客さんが時々お金を入れて行ってくれる。それが子どもたちへのチキンカレーに変わっていく。

4.久木田郁哉社長

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 ミルズとケプリの両店にはお客さんだけでなく、外部から見学に来る人も多い。それは、自分でお店を起業したいという人達だ。年齢男女問わず、店舗中心の起業家志望の人達に、久木田は事情を聴いてアドバイスをする。
 久木田は店舗経営を中心に、最小費用で効果的な起業の実例を作り、その方法論をしっかり作れば起業で生きて行けるという社会的な提案を行っている起業家だ。関西学院大学哲学科在学中の20歳頃から神戸元町の高架下で店舗経営を始めたのが始まりだった。初めの店舗経営の必要資金は30万円ほどだった。大学の仲間や色々な友達を集めて、大道具や大工仕事が得意な人を呼び、店を自分達で作った。できるだけお金をかけずに面白い店を作り、元町にいる面白い人達を集めて毎日街で商業活動を行った。居抜きで物件を借りて内装も自分たちで作ったので、本当にお金がかかっておらず、そのため同時に複数店舗持つこともできた。
 久木田はその後も阪神間各地でコーヒー屋や弁当屋、シェアハウスを起業し、一時東京に移っても友達の起業の手伝いやアドバイスをし、日々働いた。その様々な業界経験と多様な起業家達との交流の中で、起業と経営のノウハウを蓄積して行った。
 2017年の一年間は沖縄でサラリーマンをやったが、2017年末に故郷の川西に戻り、今のケプリの物件を賃借し、また経営者となった。ケプリ自体は、久木田自身にとっては、それまで各地を転々として商売をしたり仕事をしたりしてきたが、30歳以降の人生を見据えて、地元川西で腰を据えて商売をするという決意であった。

5.全国のカレー屋と工場ケプリ

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 2019年から久木田の川西での事業は拡大期に入ったが、同時にカレー粉とカレー屋の全国展開も行いだした。ケプリ・ミルズのカレー粉を使ってカレーを出している店は全国にあるのだ。久木田が販路を開拓して、これまでにケプリ・ミルズのカレー粉を取り扱ってくれた店舗は全国に数十店舗ある。
 店舗経営においては現場の知見と方法論の蓄積が一番大事だ。道具の使い方や配置、物件の大きさと自分の商売の相性、従業員の導線、お客さんの導線、商品原価、値段設定、商品の出し方、営業時間の配分、チラシの書き方、小売商品の消費者から見た印象、集客の方法など、様々な知見と方法の複合で成り立っているのが店舗なのだ。久木田はこれらの諸要素を10年近く研究している。そして久木田はそれらを、相談に来た起業志望者にとって使いやすい様な組み合わせに変えて提案したり、悩み事にアドバイスする。
 ケプリやミルズに久木田を訪ねて見学に来る人の中にはカレー屋を起業したい人も多くいる。マイクロ起業の実例であるカレー屋ケプリの経営が軌道に乗ったので、カレー屋の開業ノウハウをまとめて、ケプリのカレー粉を使ったカレー屋の起業を全国の知り合いに提案した。噂が噂を呼び、全国から起業志望者が来るようになった。実際に2018年から2021年までの4年間で、全国にケプリとミルズのカレー粉を使ったカレー屋が毎年誕生し続けている(その様子は他のnoteで公開されている)。
 全国のカレー屋の売り上げが上がれば上がるほど、ケプリは工場として忙しくなる。数千食~一万食分ほどの分のカレー粉がケプリのスタッフによって毎月川西郵便局から発送されている。大学の管理栄養学科などからの受注もあり、カレー粉生産工場としてのケプリは毎日稼働している。

6.カレー屋の社会福祉と職業訓練

 ケプリは社会福祉や職業訓練所としての側面も持つ。久木田は実業家としての力を鍛え続けてきたが、一方で社会的弱者への福祉に関心があり、商業と社会福祉を組み合わせた事業を日々研究し、ケプリがその実践の舞台になっている。
 ケプリは3年以上続いている店だが、従業員になるのは精神障害者や発達障害者、複雑な事情で社会的弱者になって中々自分の力で社会復帰ができない人、その様な人達が多かった。久木田は実業家になって約10年目だが、社会福祉への関わりも長く、久木田にはそういう人達自身やその関係者からの相談が日々寄せられる。久木田は自分の事業の中で常に社会的弱者が参加して何か手伝える余地を残している。ケプリで人々が毎日カレー粉を詰めているのはその例だ。カレー粉が売れているので、それに関する単純作業の仕事はいくらでもある。これを書いているケプリ従業員である筆者も、ケプリでの職業訓練のおかげで社会へ関わる力を取り戻すことができた。完全に商業ベースの素朴な社会福祉だが、淡々とやるべき事をやれば売上アップに貢献できるのが嬉しく、毎日頑張れる。
 全国に広がったカレー屋も元々は、一般企業で働くのが精神的身体的に限界に近付いた知り合いに久木田が声をかけ、マイクロ起業の方法論と簡単に作れるカレー粉を紹介し、これならやれるかもしれないと思い、起業した人たちが多かった。久木田はそういう人達に方法論を紹介するだけでなく、物件契約や内装の取り付けの実行支援も行う。
 ケプリにおいて子ども食堂としての側面と従業員に対する社会福祉という面を同時に成り立たせ、またマイクロ起業の実例であるケプリの様な店を全国に展開させた久木田の経営手腕は社会的に評価され、福祉事務所や障害者作業所から電話がかかってくることも多い。その様な人達にも久木田は自分の行っている事業のやり方と商品をその人達にとって使いやすいように提案している。

7.藤ノ木三角広場でのお祭り

 2020年初頭からのコロナ問題以前は、久木田とケプリスタッフが主催して、川西能勢口駅すぐ東の藤ノ木三角広場にて、カレーを無料で配るお祭りなどを主宰していた。
 藤ノ木三角広場では文化祭なども行い、Twitterで友達を集めて演劇を行った。友人のえらいてんちょうの提唱する「しょぼい起業」理念から借りて、文化祭の名も「しょぼい文化祭」にした。
 しょぼい文化祭に出店していた中嶋さんという男性は文化祭後に伊丹市の稲野駅近くでパン屋を開業したが、その暖簾分けした店である國屋シナノというサンドウィッチ店が川西郵便局の近くの丘の上に2020年夏にオープンし、1年が経った。ここではケプリで焙煎したコーヒー豆を使ってコーヒーを提供している。また、中嶋さんも2021年から夫婦で川西に移住した。
 コロナ期間に入ってからはお祭りはやっていないが、毎日キッチンカーは出店されていて、やはり久木田と筆者の友達の柿本さんという御夫婦が、2021年に沖縄料理のキッチンカーを開業した。柿本さんは筆者が元々やっていたカフェのお客さんで、この度川西に移住して来て、沖縄料理屋を2022年初め頃に開業する予定だ。
 ケプリのある藤ノ森神社周辺と、駅の反対側の川西郵便局周辺には開いている店舗物件が多くあり、川西の街の自由度もあって、最初の起業にはオススメできる。

8.川西を起業の街にしたい

 川西を起業の街にしたい。それが久木田の川西における活動の想いだ。久木田は合理的な店舗経営の方法論を研究し続けており、その知見と方法論は既にかなりの量が蓄積されているので、川西で店を開業したいと久木田に相談に来た人にはそれを提供して支援している。川西には都心の様な縛りが無いので自由度が高く、家賃や物価も安いので、最初の起業には条件が良い。そこで久木田の支援があれば、起業家として軌道に乗る確率は上がるかもしれない。また、起業家だけでなく、川西の店舗で働きたいという人も歓迎している。
 これまで川西市内では久木田の起業支援により、カレー屋、コーヒー屋、ラーメン屋、パン屋、沖縄料理屋、バー等ができ、特にラーメン屋の川西麺業はマスメディアにも注目された。川西麺業が注目されたのもそのコンパクトな経営方法で、限界まで無駄なものをそぎ落としてこれだけの味が出せるラーメン屋、という特集の仕方でテレビに紹介された。

9.川西への移住、川西からの巣立ち

 川西で起業して川西から巣立った例もある。カフェバー・メメというミュージック・バーが川西市内の畦野駅近くにあった。店長のケリーさんは久木田の関西学院大学の後輩で川西出身・川西在住の20代前半の男性だ。大学卒業後企業には就職せず、山の自然が好きなので、友達と山の中で自給自足の様な生活をして楽しんでいたが、ひょんなことから久木田と出会い、自分も好きな音楽ができる店を開業したいと思い、メメを始めた。初期は久木田の支援に乗り、徐々に力をつけて自分の力でメメを経営をし、数年続けて繁盛したが、このほど東京の大きな会社に引き抜かれ、その会社の傘下で東京で店をやる事になった。
 久木田が中心となって川西に起業の街を作って行っても、それは出入り自由だ。川西で起業してそのまま居続けるのもいいし、外の世界に出て行くのもいい。外に出てもまたいつでも帰って来られる。何かやってみたい人が気軽に川西に来て、気軽に何かやってみる。川西をそういう雰囲気がある街にしたいと思う。

10.全国でカレー屋をやりたい人募集

・カレー屋研修制度あり
・業務体験できます
・寮あり
・カレー賄い付き
・久木田社長による起業支援あり
・川西が気に入ったらそのまま住むのも支援
・詳細は久木田までメール(through12345@gmail.com)をくださればご返信差し上げます
・久木田郁哉 twitter
https://twitter.com/fbtfumiel
・ケプリ twitter  
https://twitter.com/KhepriCo
・ケプリ 通販HP 
https://kheprico.theshop.jp/
・ミルズ 通販HP 
https://spicemills.theshop.jp/



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