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感覚と思考

色んな人に見てほしい。最後に言われている

自分の感覚を周りに否定される訳じゃない。できる訳がない。それと同じで自分も他人のことを否定できる訳がない。

これって苫野先生の主張されている、自由の相互承認の考えにすごく近いような。

自分の感覚を大切にできない人が、人の感覚を尊重できる訳がないというか…

すぐ学校のことと結びつけるけど、学校では、この感覚の部分をほぼ使わない。外からの基準にガチガチに当てはめるから、一人ひとりのなんか嫌だなぁ…心地いいなぁ…なんて感覚は邪魔になってしまう。

何か理由を問われて「なんとなく…」なんて言おうものなら、それをきちんと言語化させようとする。もちろん、言語化することは大切な能力だし、そういった力を育くむことを否定している訳ではない。

ただ思考優位で、感覚的なことを悪しきことと考えていないだろうか。

自分の感覚を信じるって、人間として、というより動物として、とても大切な能力であるはず。

amicalに出会って、学校ひいては今の社会ってそこがアンバランスなんではなかろうか、と思うようになった。

私もamicalに出会って、少しずつ自分の感覚を取り戻している最中だけれど、学校自体をもっともっと自由で感覚的な場所にしていきたい。今、アート教育があちこちで叫ばれているのもこういうことなんじゃないのかな。

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