後継者不足の廃業問題とは。

いま、わたしは本当に自分ごととして取り組める仕事をしている。
慣れないことだらけ、できないことだらけだけれど、それでも自分の時間のほとんどを捧げて取り組んでも惜しくないと思える仕事だ。

それは、「家業でワクワクすること始めよう!」というコンセプトのもと、若い世代の後継ぎや後継者の可能性がある人(未検討の人も含む)に対して、「家業」を人生のキャリアの選択肢に入れてもらうことを目的とした事業。
そして、その先の「家業を“生かしていく”方法」を自発的に考えるためのスイッチを入れ、方向性を見つけた人に走り始めることを促す、そんな仕事。

具体的にどんなことをしているのかというのを知りたい人は、以下のFacebookページかTwitterをフォローしてチェックしてみてください。
※Facebookページは1000をめざしているので、いいねしてもらえると喜びます笑

そして、わたしがこの仕事を通して実感として感じたことを書こうと思う。

後継者がいて初めて事業承継ができるということを見失っている支援事業が多すぎる。

わたしがこの仕事にどっぷり取り組み始めた昨年くらいから、日本はこれから廃業ラッシュで雇用元が激減、産業が縮小していくというニュースが取りざたされる機会がとても増えた。
もちろん、そういったことに危機感を感じた行政、金融機関、自治体なんかは優良企業の廃業や黒字倒産を食い止めようと「事業承継支援」に力を入れるべく多くの支援事業に乗り出している。

けれど、世の中のほとんどの継業促進の活動は、現経営者に対して「後継者の目処は立っていますか?次に引き継ぐ準備をしましょう」という啓蒙活動や、相続・税制面での対策を説くことばかりで、その成果は芳しくない。

ここまで読んでくださった察しの良いあなたならもう気づいてしまったと思うけれど、事業承継の問題を考えるとき、目の前にいる「現経営者」へのアプローチはさほど効果がなく、それではこの問題の根本を解決することにはならないということ。
そう、廃業の原因の根っこは「後継者がいない」ことだ
極論を言えば、後継者が「継ぎたい」と思うかどうかが問題なのであって、そういう人が出て来さえすれば、先代(現経営者)の準備不足も業績の悪さも、会社の魅力のなさなども、実は案外大きな問題ではない。なんとかする方法はあるし、それをなんとかする手助けをしてくれるプロフェッショナルだって、たくさんいるのだ。

そもそも「後継者候補」の目星がついていないこと、「後継者候補」の自覚の不足、「後継者候補」の力量不足、この3つが大きく課題となるのだと思っている。

つまり、今の支援はこれから去る人がいかに次へバトンを渡すかの方法を考えているだけで、渡す先の選手をスタートラインに立たせていないと言える

どうすれば会社は継業できるか?

継業ができず、業績が良くても廃業をせざるを得ない会社を「生かす」方法は2つ。

①後継者(候補)をたて、引き継ぐこと
②機能面・資産面で評価価値がある部分を欲しい企業(人)に譲渡すること

また、①には親族内継承、血縁関係のない社員への継承、全く外部の第三者継承というバリエーションがある。

今までの日本では、後継者に有無を言わさず、なんとか親族内継承をすることで続いてきた会社が多い。
しかし、ここ20年ほどは景気が悪かったことと、個の意思を尊重し生き方に自由を求める現代の風潮で、外に出て活躍している子息を強制的に家業に戻らせることが容易ではなくなり、親族内承継は困難な選択肢だというレッテルが貼られ、子息がダメなら第三者だ!とM&A(事業譲渡)を推奨する論が台頭し始めた。
そういうわけで、今の世の中には②機能面・資産面で評価価値がある部分を欲しい企業(人)に譲渡することと、①のうちの第三者承継を推奨する風潮が強い。そんな中、わたし(達)は①の中でも「親族内承継」に主軸を置いて活動している。

ここからはあくまでわたしの持論なのだが、まず私は、第三者への譲渡の前に、親族内や社員への承継を検討するべきではないか、と思っている理由について語りたい。(賛否あるとは思うけれど、私なりの見解です。)

安易な事業売却は、状態が良くなくて親しい人へすら譲れないものをメルカリに出品しちゃうようなもの

わたしは、M&A(第三者への事業譲渡)は本当に最後の手段だと思っていて、早々に「M&Aしちゃえば廃業問題解決!」になるとは思っていない。

まずは近しい存在である親族内や社員への譲渡を検討し、その中にめぼしい後継者候補を立てられないのであれば、最終的に第三者への譲渡を検討すべきだと思っている。
なぜなら、今まで継業の対策を怠ってきて「後継ぎがいない!」と焦って第三者への事業譲渡で解決しよう、という安易な発想による流れにしか見えないからだ。
何も手を尽くさなかったのに「売っちゃえば解決!」という発想は、そもそもまず最初に検討すべきプロセスを踏めなかった現経営者の怠慢でしかない。そして、一番身近にいてよく知っている身内にすら譲ることができなかった事業を第三者が両手放しで買い取ってくれるだなんて虫が良すぎる。

見出しのメルカリの出品はあくまで例えだが、なんでも売れますよ!と言われメルカリに出品するも、状態が良くなかったり魅力がなければ当然売れ残る。会社の規模もさして大きくなく、ほぼ家内工業みたいな中小零細企業がほとんどのこの国において、第三者譲渡ができる条件の良い会社なんてそうそう多くない。(もちろん、意外な観点で買い手がつくこともあるから、最終手段として売りに出せば良いとは思う。)

とにかく、「なんでもM&Aが解決してくれますよ!」と経営者に継業の努力をすっ飛ばさせ、一見楽に見える手段を早々に提示することに甚だ疑問を感じている

親族内承継を頭ごなしに否定されたくない

また、家業がない人や後継ぎの立場にない人からしてみれば「親族内継承」というと、ボンクラの息子(娘)が何もできないくせに親族という理由だけで会社を継ぐことだと思い込んでいて、「そういうのは今の時代ナンセンスだよ」みたいなことをよく言われるのだが、わたしは正直その考えに「大して知りもしないのに好き放題言いやがって」と内心悪態をついていることも多い(笑)

もちろん、使い物にならないアホも、家業にあぐらをかき変にプライドだけ高いボンクラがいることも否めない。ただ、血縁や親族だからイケてないと言われると、実はわたしも後継ぎの立場にある身として無性に腹立たしい。小説やドラマ、マスコミの影響なのか、同族経営=悪みたいな公式が世の中のよく知らない人に植え付けられすぎていると思う。

わたし自身、実家が商売をしている中で育ち、家族構成上後継ぎの候補となりうるので、立場上とてもよくわかるのだけれど、(環境にもよるが)実家で商売や事業をしている中で育つと、事業が苦しい時のことも知っているし、経営者が身近にいて育つので、お金や資産への投資の話が比較的に身近にあり、借り入れという名の借金をして事業に投資をし利益を生んでいく営みのことをなんとなく感じながら育つのだ。教えられてなくてもなんとなく頭の片隅にあったりする。

そして、親や従業員の人が働いている姿を横目に、自分の生活は家族以外の他人が稼いだお金で成り立っていることを感じながら育つのも家業がある人間独特の感性だと思う。

そんな環境で育つから、「家業や親族、従業員の人たちの役に立てる自分であろう」と、うっすら思考の片隅に思いながら社会経験を通じて自分の力を磨き過ごしている後継ぎは多い。

何よりとてもエモーショナルなことなのだけれど、「家業(実家)がなくなるのは寂しい」と思っているもんだから、「いつかは自分が役に立てるように」と思って勉強や進学、就職を意識している後継ぎは、自分からは言わないだけで、実はとってもたくさん存在する。そして、役に立てるタイミングをなんとなく見計らって生きている。

スイッチを入れること、未来を信じるきっかけをつくること。

そんな彼らの中で、後継ぎになることに一歩踏み出せない人たちは口々に「自分が経営者になれるのか不安だ」「親からそういう話をされたこともないけれど、やっていけるのだろうか」「今のままの事業を続けても、業界はシュリンクしているし、将来が見込めない。今のままじゃダメだ」という。

彼らは役に立てる自分でいたいと思いながらも、行先の不明瞭さと、自分自身の能力が信じきれずに、不安だけ抱えて宙ぶらりんなのだと思う。

だからこそ、後継ぎの可能性がある人へ現時点の能力の有無ではなく、「あ、なんだか楽しい。もしかしたらやれるかも、頑張りたいかも」と思える瞬間を提供することがとても大切だと信じている。

ホラーストーリを語られて、誰がその世界に足を踏み入れるだろうか。
まずは将来への展望や希望を持つこと。それがその世界の入り口に立つための一番最初に必要な条件だと思っている。(そこで興味が持てなかったら仕方ないし、それはそれでその人の人生なのだから。)

実際、現実は厳しい。先代がなかなかトップの椅子を譲らないとか、古参の社員にいじめられるとか、蓋を開けてみれば大赤字だとか、様々な困難には間違いなく出くわす。
でも、それを乗り切れるかどうかは本人次第だし、そのトラブルまでに力をつける方法だっていくらでもあると思うのだ。その世界に踏み込む覚悟を試すのはめざしたい世界や信じられる目標を持ってからでも遅くはない。

世の中の継業支援と呼ばれるセミナー的な何かは、会社を引き継ぐことを辛気臭いものにしていないか、若い彼らのモチベーションを萎えさせていないか、一度考えてみて欲しい。

強い者が生き残るのではなく、環境に適応できる者が生き残る。だから、会社は変わっていい。

また、最後に、後継ぎとなる可能性のある人、迷っている人にまず知ってほしいことが1つだけある。

それは、今までの事業分野をそのまま引き継がなくてはいけないというルールは存在しないということ。守らなければいけない軸を見定め、それ以外は自分ができることで大胆に変化をさせていくことこそ継業だということ

長く残ってきた会社の歴史を眺めてみれば一目瞭然だが、ずっと同じ事業だけで生き残ってきた会社は実はあまり多くない。
自社の守るべき軸は大切にしながらも、時代に即して、その在り方や提供する価値を変えて生き残ってきている。「強い者が生き残るのではなく、環境に適応できる者が生き残る」、ダーウィンの進化論の一説としてあまりにも有名で多くの人が知っていると思うが、生き物だけではなく、企業にも言えることだ。

そもそも、先代と私たち後継者となりうる世代の生きて来た時代背景が違いすぎるし、テクノロジーの進化も含め、全く感性や知りうる世界、見える視点が異なるのだ。それを前時代の人が偉そうに諭すのは正直いただけない。(もちろん、積年の知恵みたいなものもあるし、経験者の言葉はありがたい。時代を超える不変の真理だってある。)

「健全な競争の遊び」を通して自身の足りなさと可能性を見出せるのかもしれない

先週末は、30代前半以下の後継ぎを大阪に集めて、ビジネスアイデアを競うアイデアソンイベントをやっていて、無事終わったのだけれど、明らかにスイッチが入った人が何人もいた。
参加者の顔つきが変わって帰っていった姿を見て、やっぱり「健全な競争の遊び」の機会をもっと彼らに提供しなくてはいけないのでは、と感じている。

雰囲気は上記動画でわかるのでぜひ見てみてください。

企業活動は社会において、ある種競争でもある。(もちろん、競争の側面ばかりではない)事業を営むということは波があるものだし、常に足りないものとの戦いでもある。その荒波に流されない強さを身につけて生きていくということを考えると、擬似的に競争に晒され、限られたリソースと時間の中で判断を下していくということを体験することは有意義だと思っている。

勉強という形の守られて穏やかな中だけでは得られるものは多くはない。より、刺激を与え、自らの力で必要な知識や能力を勝ち取っていく覚悟や気づきを得る場を提供することこそ意味がある。
たとえ擬似であっても実践が伴い、追い込まれるシーンに身を投じること、そういう健全な競争の遊びはとても大切だ。そんな気がしたイベントだった。

とにかく、「事業承継」が醸し出す辛気臭い雰囲気を取っ払って、とにかく楽しく明るく、信じられる未来を自分自身で少し見つけられる機会を作っていきたいと思って活動をしています。今年いっぱい、一人でも多くの後継ぎにこの世界観を知って欲しい。

ということで、9月24日(月祝)は個人で家業の資産を有効活用して新しいことに挑戦したい後継ぎのビジネスアイデアコンテストをやります。
昨日、エントリーを締め切り、今審査の真っ最中。

彼らが今ある力を絞り出しストレッチして生み出した事業がきっと新しい日本を作ると信じて。現経営者の会社を乗っ取れるくらいの気概と、いい事業アイデアをひっ提げて、勢いのある若手後継ぎが活躍する社会になりますように。(最後の最後でイベントの宣伝、ごめんなさい笑)

追伸:今回のテーマは「問題の要を見誤らない」という話から始まっていますが、例えば電車で体の不自由な人に席をゆずることだって、不自由な人に意識が囚われすぎて施策を考えてしまうと、「譲ることができる人」をいかに動かすかを見落としてしまいがちになる。
何かを成立させるには、課題があるものに囚われすぎず、それを取り巻く周辺の変化を促すことも視野に入れられれば、うまくいく突破口が見つかりやすい。そんなことも伝えたかったりしました。

長文、ここまで読んでくださった方は本当に偉い!ありがとうございます。

今度はもっとどうでもいいゆるい日常でも書きますね◎

#とは #社会問題 #後継ぎ

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