見出し画像

時間切れ!倫理 117 栄西・道元

栄西
 禅宗は中国でおこった新しい宗派です。禅宗では栄西と道元の二人を覚えておいてくれれば結構です。栄西も道元も中国に留学します。
 栄西は中国から臨済宗という宗派を持って帰りました。座禅と公案が栄西の臨済宗の特徴です。座禅は分かりますね。座るだけ。簡単でしょ。誰でもできる。今でも会社の新人研修で禅宗のお寺へ行って座禅を組んだりします。
 公案というのはクイズのようなものです。師匠のお坊さんが弟子の僧侶に色々な問題を出す。例えば「手を叩いて音がする。音が出るのは右の手か、左の手か」というような訳の分からない問題を出す。一休さんのイメージですね。アニメの一休さん知ってるかな。公案の答えは常識的なものではダメなんです。仏教的な自我を放擲したような答えを出さなければいけないらしい。喫茶、これも栄西が中国から日本にもたらしたものです。
 著書は「興禅護国論」。署名に「国」という文字があることから想像がつきそうですが、栄西は政治権力と接近します。鎌倉幕府の庇護を受けながら、禅宗の興隆に努めました。

道元
 栄西よりも後輩ですが、道元の方が思想的には栄西よりも重要です。曹洞宗をひらき、永平寺を創建しました。主著は『正法眼蔵』。
 道元の曹洞宗になると、臨済宗とちがって公案はなくなり、座禅だけになります。座禅を修行の中心に置く。「只管打座(しかんたざ)」というのは「ただ座れ」という意味です。考えずにただ座れ、それだけです。これが曹洞宗の核心。
 只管打座というのは中国語です。道元も中国に留学して帰ってくるのですが、向こうで使っていた中国語を日本語に訳さず、そのまま日本でも使った。禅宗の用語にはそういう言葉が多いです。伝来が新しいということでもあります。
 ひたすら座禅をすることによって、「身心脱落(しんじんだつらく)」し、いっさいの束縛から解き放された自在の境地にいたる。
 「修証一等(しゅしょういっとう)」。これは受験用語と思ってください。座禅をすることが、そのまま悟りの実現であるという意味。悟りの世界を日常に非常に近いところに設定している。座禅は自力の修行ですが、救いの身近さは他力の浄土宗系と相通じるところがあります。
 教科書には、平等性とあります。人間は誰にでも仏性がある、悟りには出身・名声・地位・能力に無関係ということですが、これは大乗仏教一般に通じる考えですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?