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【花譜考察】花譜を観測するとはどういうことか?~量子力学から読み解く~

花譜が観測という言葉を用いたのはいつだろうか?
記憶を思い返してみると、花譜が初めて観測という言葉を用いたのはファンネームを決めた時だった。

当時を知る観測者ならなぜ観測?と疑問に思った人も多かったと思う。
もちろん、僕もその一人だ。

そして、月日は流れてごく当たり前に観測という言葉が使われるようになった。特に不可解の際に運営から出た言葉が印象的だ。

花譜は昨今のVTuberシーン全体とそれを支えるVTuberファンの皆様の盛り上がりによって、奇跡的に観測された存在だと我々は思っております。


奇跡的に観測されたという花譜。
このように花譜を考察する上で観測というキーワードは欠かせない。

これらの言葉の真意は何だろうか? 彼女はどう観測されたのか?
本記事では「花譜」とは何かについて迫っていく。

観測の初出

前述したように花譜が観測という言葉を用いたのは、3月の質問箱であったが、彼女が参加していたKOTODAMA TRIBEにて観測という言葉が使われている。花譜という文脈の中ではこれが初出だろう。

ここでINTRODUCTIONを読んで欲しい。

INTRODUCTION
観測されるまでは存在しない。
人はより多くの観測者を得るために、
自分の存在を証明し続け
放たれた言葉と魂は力強く
その場にあり続ける。

しかし、それは束の間のこと

観測者がいなくなったモノは徐々に風化し
記憶しているモノがなくなったときに、消滅する。

2018年の現実でも、20■■年の仮想世界でも、
その心理は変わらずに機能していた。

これは動的口述命令アーキテクチャ”KODAMA”が
全てを構築する未来の仮想世界社会に抗い、
そこで懸命に自らの”コトダマ”に叫び続けることで、
己の存在を証明し続けていく運命の少女を描く

「創世のおとぎ話」である。


この文章では観測・観測者が数回使われている。
そして、これらの言葉はまさに、神椿スタジオに所属する彼女たちの存在そのものだと思えないだろうか?

特に魔女がこの場において初めて発表されたことも考えると、その意義は大きい。

2020年5月現在、魔女は魔女、祭壇、宣戦という一貫したストーリーの下で語られている。特に、祭壇ではこの曲が今を生きるバーチャルYoutuberに捧げた曲だと花譜本人の口から語られている。

INTRODUCTIONの序文も踏まえると、「観測」は神椿プロジェクトが考えるバーチャルYoutuberの在り方、捉え方だと考えられよう。

そもそも観測の語源は何か

前回書いたこのnoteにて花譜がバーチャルシンガーである訳を述べた。

簡単に纏めると、私たちが観測しているからこそ、彼女はバーチャルシンガーになりえる。ここで留意しなければならないのは、バーチャルな存在はそれ自体に本質的な存在を持つわけではなく、あくまで実質的に私たちに作用しているということだ。

つまり、バーチャルな存在はその対象がいないと存在しえない。本質的に花譜という存在は我々が彼女を見ているからこそ存在している。

これと似たような構造をもつのが量子力学における観測である。

私は観測という言葉が量子力学の意味から導かれたものであると結論付けたい。量子力学における観測の意味は彼女の表現を適切に説明するための、適当な言葉であるからだ。

量子力学には観測問題が存在する。かの有名なシュレーディンガーの猫の実験もこの問題から端を発する。

次項からは量子力学の思考実験を引用しながら、花譜について考察していこう。

ラプラスの悪魔


みなさんは物理学の授業中にこのようなことを考えたことがあるだろうか?

近代・現代になると物理学の発展によって、この世の全ての事象――それこそ人間の思考さえも電気の移動であること――が物理学で説明できるようになった。

全ての現象が原因と結果によって結び付けられ、数学的に次に何が起きるのかどうかを予想することが可能になった。

18世紀、天文物理学者であったピエール=シモン・ラプラスは以下のようなことを述べた。

「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。」
                     『確率の解析的理論』1812年


この世が全て物理現象で成り立っているのならば、未来も過去も予め全て決定されている。そして、全ての事象を知りえる存在がいるのならば、その者は未来も過去も全て知りえているだろう。

後にエミール・デュ・ボワ=レーモンはこの超越者の名前を「ラプラスの霊(Laplacescher Geist)」と名付け、日本では「ラプラスの悪魔」という名称で浸透している。

考えてみれば当たり前の話だ。シュミレーション世界を観察していると、この世の中の出来事は全て数式で計算可能に思える。もし全てを知りえているのならば偶然要素が介入する余地はない。

ある種、悲観的とも呼べるラプラスの悪魔は当時センセーショナルなイメージとして引き合いに出された。予め全てが決まっているとするならば僕たちが思考し、努力し、成功した結果などなんと空虚なものだろう。

花譜にはラプラスという使い魔が存在する

花譜のオリジナル曲「過去を喰らう」ではラプラスが彼女をまさに喰らう演出がなされており、彼女の未来が既に決定されていると暗喩的に表現されているように思える。これは彼女の未来が明るいという示唆だろうか?

花譜 #22  「過去を喰らう」 【オリジナルMV】

いや、そう考えるのはやや早計だろう。なぜなら、僕たちには観測者という名前が付けられているからだ。

現代物理学において、ラプラスの悪魔を否定した考え方がある。それは量子力学における観測問題であった。

観測について考察しよう~二重スリット実験~

20世紀で最も美しい実験とされた二重スリット実験を紹介しよう。

必要な道具は以下の3つ。

・電子銃(電子を打つことが出来る)

・スリット(隙間がある板)

・スクリーン(電子が当たると光る)

まず、電子銃を使って二つの電子をスクリーンに向かって撃ってみる。

常識的に考えて、下記の図のような二つの線ができると想定されるだろう。(スプレー缶を射出したときの様子を思い浮かべて欲しい)

しかし、驚きべきことに結果は違っていた。下記の図のように縞模様の複数のスリットが映し出された。これは電子が波の性質を持つことを証明する。波の場合はお互いに干渉しあい、このような縞模様が表示されることがあるからだ。(電球を使用して実験すると、同じ紋様が表れる)

しかし、確かに打った時は二つの粒の電子を打ったはずだ。

そこで科学者は「粒として発射された電子が波になって、そしてスクリーンに到達した時に粒に戻るのかな」と考えた。そんなものが存在するのかは分かないが、とにかく実験結果はそう示している。

さらに詳しく調べるために、科学者は二つのスリットの近くに観測機を設置した。

すると、今度はさっきまで見えていた縞模様が消えて二つの線が表示された。実験を何度も繰り返しても結果は同じだった。

つまり、実験結果から考えるに、

観測するまで電子は波であり粒であるという二つの可能性が共存している」

「観測して初めて電子が波か粒かどうか判明する。」

という結論が得られる。電子は我々が見ていないところでは波として振るまい、我々が見ていると気づいた瞬間に粒として振るまい始める。

もう訳が分からない。

この問題は観測問題として知られ、今でも解決されていない。
唯一分かることは量子力学では観測するまで結果は分からないのだ。

観測について考察しよう~シュレーディンガーの猫~


同様にシュレディンガーの猫という思考実験が存在する。この実験自体は有名だから名前を聞いたことがある人もいるかもしれない。

実験内容
不透明な箱を用意し、猫を入れます。ここに、ラジウム、放射線検出装置、ハンマー、青酸カリで出来た装置を設置します。もし放射性物質であるラジウムから出る放射線を検出したら、電気信号が流れ、ハンマーを動かし、青酸カリが入った瓶を割る仕組みになっています。ラジウムから放射性物質が出る可能性は50%とします。
さて、この装置を起動したとき、猫は生きているのでしょうか? 死んでいるのでしょうか?


       (シュレーディンガーの猫のイメージ図wikipediaより

ここで一般的な考え方をしよう。

普通に考えれば猫は

・ラジウムが放出され、装置が起動し死んでいる。

・ラジウムが放出されず、装置は起動せず生きている。

この二択である。少なくとも「ラプラスの悪魔」のような古典力学の考え方を用いれば、猫の状態はどちらかに決まるはずだ。

しかし、二重スリット実験を学んだ方なら分かるだろう。

答えは「観測するまで分からない」である。

この理論を用いると、投げたボールが必ずしも下に落ちるとも限らないし、もしかしたら明日は太陽が西から昇るかもしない。

「未来にはいくつもの可能性があり、全てはサイコロの目のように決まる」

これが量子力学の考え方の基本だ。

※なお、量子力学おける観測は一般的なものとは違う意味で用いられる。

量子力学において「観測」という場合は、人間の行為を指す一般的な語意とは違う意味で用いられることに注意する必要がある。量子力学的な「観測」は、例えば、シュレーディンガーの猫の思考実験に当てはめていえば、放射線の放出から生死の確認までの一連の流れ全体を指す。そして、重ね合わせ状態の確定する時期が「観測」のいつの時点であるかについては、理論的にも実験的にも確かなことは分かっていない。

未確認少女進行形が示す世界


量子力学から得られる知見は多くある。

・ラプラスの悪魔など存在しない

・観測するまでどうであるかは分からない。

・観測することによって未来は変わる。

etc……

これらの要素を観察すると、一見難解な「未確認少女進行形」が量子力学的な考え方を表していることが分かる。

花譜 #44  「未確認少女進行形」【オリジナルMV】

この楽曲の中で彼女は「私って宇宙人で深海魚で三葉虫で魔法瓶なんだよ」と言っている。

ハローハローハローハロー
私宇宙人なんだよ
はじめて言うけど
はじめて言っちゃうけど
ハローハローハローハロー
実は深海魚なんだよ
子供みたいな話みたいな
それでもいいならここにいて
(中略)
ハローハローハローハロー
私三葉虫なんだよ
はじめて言うけど
はじめて言っちゃうけど
ハローハローハローハロー
実は魔法瓶なんだよ
子供みたいな話みたいな
言葉でいいならここにいて
Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kafu/mikakunin-shoujo-shinkoukei/


一般的に考えれば、不可解なこの歌詞も量子力学的に考えれば説明がつく。

先程述べたように、量子力学的に言えば、本物が何であるかどうかなど全く分からないのだ。同様に花譜自身も、もしかしたら深海魚かもしれないし、魔法瓶かもしれない。それは花譜自身も分からないものかもしれない。

しかし、観測者がいる。

電子は観測することによってその姿を確定することができた。同様に、私たちが観測することによって彼女は花譜であり続けることができるのだろう。

ここまで読んでくれた読者ならお判りだろう。
観測とはただ物事を静観する意味ではない。観測するとは彼女に影響を与えること。観測者とは花譜の在りように影響を与え続ける人々のことだ。観測者によって、花譜は深海魚にも魔法瓶にもなれる。

だから、積極的に関わりあっていくこと。それが私たち観測者の使命だし、私たちに求められていることかもしれない。私たちが観測しなければ、彼女は彼女として存在しないのだから。

私たち観測者は既に物語の一部として存在している


花譜の世界観を考察するときにラプラスは欠かせない。先ほどの語源を考えると、ラプラス自身が彼女の物語に大きく関わってくることは明白だからだ。

例えば花譜の使い魔であるラプラスが花譜を一直線な成功の道へ進ませている存在と仮定してみよう。全てが予め決定し、ただレールを歩んでいくような未来だ。ああ、なんと空虚だろう。

それでは逆説的に、花譜を混沌(カオス)な不可解な世界に導いていける存在は誰か想像してみよう。

それは、らぷらすが花譜を喰らう瞬間を目撃した私たち観測者しかいないのではないか?

花譜 #22  「過去を喰らう」 【オリジナルMV】

私たちは既に彼女の物語の一部である。観測者とは、ある面ではファンネームだが、一方では物語の登場人物そのものだ。

御伽噺(花譜のストーリー)の世界観にいつ私たち観測者が現れてもおかしくはない。いや、言及されていないだけで、もう既に存在している可能性だってある。私たちはバーチャルとリアルの狭間に住んでいる、あくまで花譜と同じような存在だ。

(ほとんどの場合、花譜は現実の背景と共に現れる。私たちと花譜は常に隣り合わせの世界に存在しているのだ。)

アーティストとファンの関係は奇妙なものだ。お互いがお互いに影響しあい、干渉しあい、混ざり合ってどこか未知の世界へと一緒に向かっていく。

まだ、齢16歳の少女には大きな期待と困難が待ち受けていくことだろう。決して引かれたレールは成功への一直線ではない。不可解(再)は無観客ライブとなってしまったし、花譜展巡業も中止となってしまった。しかし、観測者である私たちが観測することで、まだ見ぬ不可解な世界へ旅立っていくことができる。そんな素晴らしい名前を私たちは付けられている。






さて、あなたはもう観測してしまった。

「君はどうする?」

花譜 #52  「深化」


※本記事はwikipedia、その他文献を筆者が参考にし執筆したものです。

参考

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