親の家片付け問題から気付いたこと
先日書いた「親の家(私の実家)片付け問題」
やりきれないモヤモヤを抱えたその後、何人かの友達とのやりとりの中で、
私は3つのことに気付いた。
ひとつは、「結局は人を変えようとしていた」こと
もうひとつは、あんなに気をつけていた
「『こっちが正しい』と思い込んでいたこと」
いかなる場合もそれは禁物だとちゃんとわかっていたはずなのに。
これはある友人の発した
「もう思う存分ためこませたったらどうだろう」
というひとことでハタ、と気付いた。
そしてもうひとつは、
〈実家の片付けは大変だ〉
〈両親死後の実家の片付けは兄弟がモメる〉
と、知らずしらずのうちに、
本やネットなどの情報から、刷り込まれていたこと
それで実は焦っていたかもということ
(↑しかし無意識)
まだやってもいないうちからね
大変(←伝聞)なんだから、うかうかしてたらダメなのよ!!
ってね
ほりゃおかんも急かされとるように
感じるわけだわな
え、てことはさ、
これって、わしの方が
『不安からの行動』になっちゃってんじゃん!!
母のこと言えんじゃん!!
まあ確かに
実際にやってもやっぱり本当に大変なんろうだと思う
でも、まだ味わう前の苦労を
いまから先取りして不安になってどーすんねん
これでモヤモヤが全て晴れるわけではないんだけど、
「大丈夫。不安にならなくていーんだよ」って言ってやろうと思う
母にではなく自分にね。
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