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ポニョの舞台 福祉のまち鞆の浦

宮崎駿監督と鞆の浦

『崖の上のポニョ』の舞台として知られる鞆の浦。宮崎駿監督がインスピレーションを受けた福祉施設 鞆の浦・さくらホームは、作中にも登場するあの「ひまわりの家」。

当時、宮崎駿監督が鞆の浦で放った「高齢者への畏敬の念が足りていない」という想い。今や福祉のまちとして最先端をゆく鞆の浦に、日本の目指すべき未来を照らし合わせたのだろう。

鞆の浦で福祉のまちを考える

超高齢社会をむかえる準備

超高齢社会に突入している日本。医療・福祉は逼迫し、専門職のみでの介護は持続可能ではないことはいうまでもない。我々若者の世代が福祉の話をすれば、それは福祉の専門職としての話ばかりである。私のようなただのいち市民にも今から動ける対策がないのか。

福祉×まちづくり

漁村集落 鞆の浦の港

学生時代に取り組んだ学会の課題。2021年度日本建築学会設計競技のテーマは「まちづくりの核として福祉を考える」。2021年、建築業界では「福祉×まちづくり」が最先端のテーマだったのだ。

共に支え合う地域づくりの観点から携わることはできないのか。福祉関係者から紹介された一冊の本。これが、私にとって鞆の浦・さくらホームとの最初の出会いだった。福山市の鞆の浦さくらホームは、20年も前から"福祉×まちづくり"を実践している。

鞆の浦を歩く

常夜燈

150年以上も海と陸の狭間で見守ってきた常夜燈。舟はあの常夜燈を目印に集まり、人々もまたそこに集う。

常夜燈

医王寺から望む

鞆の浦は山々の多い地形の中のわずかな平地に築かれた集落。集落のはずれの医王寺に向かう坂を登ると、鞆の浦を一望できる。一部、埋め立てつつ、集落は海岸のギリギリまでせまる。瓦屋根が多く古くから残る建物も多くある。

医王寺から鞆の浦を望む

細い路地

密集する鞆の浦の集落は当時の面影を残す。複雑な路地は今も変わらず、道幅も変わらない。地元の方によると、土の道が一度アスファルトの道となり、観光客が訪れるようになってから石の道に整備され直した。

路地

鞆の浦・さくらホーム

「ただいま」といいたくなる福祉施設

入り組んだ路地の中に鞆の浦・さくらホームはあった。酢の醸造所のリノベーションしており、外観そのままに懐かしさを感じさせる佇まい。地域共生は建築もまた共生している。鞆でも変わらない日常の中にさくらホームはあった。

鞆の浦さくらホーム①

出入りしやすい玄関

「ご自由にどうぞ」と玄関が笑顔で出迎えてくれるように。H氏は福祉施設という言葉に抵抗感を抱いている様子。施設なのか。福祉は、管理するものではない。その考え方は、玄関からも見てとれる。強要しないこのやり方で、今ではむしろ深夜徘徊する人はなく、地域の方々と和気藹々とした日常が流れていた。

立ち寄ってみたくなる玄関。私もまた気づけば玄関で挨拶を交わしていた。実はこの施設、いや、ホーム?は、ジブリ映画『崖の上のポニョ』のモデルになった場所である。宮崎駿監督もまたふらっと立ち寄り、インスピレーションを受けたそう。日本人は自然と老人への畏敬の念がないという訴えから作中でも鞆の老人ホームが描かれている。

鞆の浦さくらホーム②

さくらホームの中に鞆の浦があった

ここからは建物内部。お写真なしでご想像ください!

玄関を抜けると、2層吹き抜けの大空間。天井はなく、屋根裏の格子状の太い木組みの梁が見え、ハイサイドライトから光が漏れ出る。音の反響を考慮し、自然素材剥き出しの床。他者を感じられるよう廊下と個室には障子が設けられる。天井の高さはうまく調整し、圧迫感のない吹き抜けの天井と落ち着いた雰囲気を目指した低い天井のお部屋がある。

完全バリアフリーにしないこと。これもH氏のこだわりという。
自力で登れるスロープ、階段、くねくねと歪んだ廊下、…。私はここに鞆の浦の面影を感じた。複雑に入り組んだ路地や迷路のようにつながる階段の道。鞆の浦の街中に残る、緩やかな起伏。鞆の浦の情景が、広々とした玄関から建物の内部へと引き込まれている。

「私たちは鞆の浦で暮らしている」のだ。

詳しく知りたい方は、ぜひ現地を訪れてみてほしい。事前の予約すると、お話も伺えるかもしれない。鞆の浦さくらホーム施設長が書かれた著書『超高齢社会の介護はおもしろい!』もおすすめです!

福祉のまちで聞いたお話

福祉は、言葉では倫理観のもと容易に理解しやくい分野である。一方で、実践において様々な問題が生じる分野でもある。ひとりひとりと向き合うことで対応も様々。現場の生の声は、エピソードとしていくつかまとめてみました。

福祉のまちのその昔

福祉の掲げる前から、支え合う環境のあった地域。人口は多く、家が密集し、支え合う環境はあった。鐵工所の職人さんや漁師さんが多いまちだった。鐵工所は衰退し、細い道で車は渋滞。不便から人口は減少。支え合う文化が維持できるのか。そのような葛藤の間の時期だったという。

人口減少が急降下する中、病院のベット数は急増。幸福な死は病院か、在宅か。いうまでもなく在宅。しかし、在宅の死を介護の専門職でみれるのはこの1、2年で終わり。

現在にも継承される漁港

歩きやすい道

鞆の町の道は市の方針で道が石畳に変えられた。観光にはいいが、摺り足のご年配の方にとって躓く、滑るといったトラブルを引き起こす。車椅子や自転車も走行が困難。車にとって走りやすいアスファルトは、現状歩きやすさにおいても最適と話す。鞆の街には様々な石畳があり、比較しながら歩いているそう。

鞆の浦の路地

「半径5mの幸せ」

身の回りの些細な出来事に幸せを感じられるかどうか。その積み重ねが豊かな暮らし。「こんにちは」「元気にしてた?」という些細な見守り声かけが大切。この見守りや声かけが地域の福祉の原点だそう。「半径5mの幸せ」は北海道の在宅医療をされているM先生から聞いたそうで、H氏の好きな言葉として紹介してくださった。

幸せをつなぐ橋

横国の教授が鞆にきて、話してくださったエピソード。
橋を大切に守るべき。橋は幸せをつくる。橋は道と道をつなぐ。過疎地域にかけられた橋の寿命がおよそ50年。戦後復興期に建設された多くの橋が間も無く落ちる。維持や立て替えの予算は足りない。人口減少する過疎地域では特にその生命線を途絶えさせないための対策をすぐさま投じるべきといえる。

最後に

見え隠れする福祉

福祉は、選択肢から選ぶものではない。
従来の福祉はサービスとして見えすぎている。

さくらホームは自然体だ。何気なくそこに見え隠れする福祉。しかし、素人目には"見えない福祉"は見えないままでつくることはできない。見えない福祉には経験の目が必要。「人の気配を感じられる障子」「光の刺激を抑えた間接照明」。福祉とは、もっと見え隠れしている存在であるべきではないか。

おまけ

スープとおにぎりクランク

昼食でお邪魔したお店。H氏が運営する飲食店である。こちらも古民家をリノベーションしたカフェで、地域の方々の拠りどころになっている。老若男女誰でもこれるまちの居場所。福祉は特別扱いすることではなく、誰にでも開かれていることが大切だなと感じさせられた。

スープとおにぎりクランク

ご飯メニューは、SSスープセットとレギュラースープセット。私はスープはほうれん草の濃厚ポタージュと彩り野菜のラタトゥーユにおにぎりふたつをいただきました。体温まる濃厚スープは絶品!たまたま白米が切れてしまったということで赤飯のおにぎりをいただきました。ご馳走様でした!

今晩は、鞆の浦のお祭りの日
お手伝いしながら私も参加してきます!
今日はここまで!



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