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第19夜 南魚沼市の万盛庵再び 「大衆食堂の詩人」遠藤哲夫さんしのぶ女子会

 新潟県南魚沼市の坂戸山ふもとにある大衆食堂、万盛庵(まんせいあん)本店で、久しぶりに飲んだ。昨年6月、がんのために78歳で亡くなった南魚沼市出身のフリーライター、遠藤哲夫さん(通称・エンテツ)の妻、佐千江さん(62)からお誘いを受けたのだ。
 万盛庵は、「大衆食堂の詩人」と呼ばれた遠藤さんが、帰省するたびに寄って泥酔したという店。同郷の大先輩である遠藤さんと「いつか、ここで飲みましょう」と約束していたのだが、果たせなかった話は、新潟日報デジタルプラスのコラム「新潟かんほろ」第9夜に書いた。
 埼玉県の自宅から新潟入りした佐千江さんと、万盛庵で午後6時に待ち合わせた。足元を見ると、登山靴を履いている。日中、一人で坂戸山を登ってきたという。六日町高校時代、山岳部に所属していたエンテツ少年が登山のトレーニングをしていた山だ。
 「穏やかなルートを行くつもりが、間違って急なルートに入ってしまって。もう、大変でした。エンテツさんがそばに付いて、登らせてくれたんだと思う」
 万盛庵では、地酒や地元の山菜料理をたっぷりと出してくれた。おかみの「エッチャン」こと目黒悦代さん(79)は、遠藤さんの中学校時代の同級生だ。木の芽(アケビの新芽)のお浸しには、豪快に鶏卵を割り入れていただく。ウドのきんぴらに、ネマガリダケの炒め物。どれもおいしい。途中からエッチャンも酒席に加わり、女子会になった。
 佐千江さんが遠藤さんと結婚したのは、34歳の時。遠藤さんは17歳年上で、職場が同じだった。前立腺がんのステージ4と分かり、自宅で闘病生活に入ってからは、勤めに出る妻のため、弁当を作った。67枚の「弁当写真」が残る。遺骨は、残されたメモに従って、海に散骨したそうだ。
 「優しい人でした。もっと長く、一緒にいたかった。もっといろいろ、話したかったな。エンテツさんは、どう思っていたんだろう」
 ポツポツと話を聞くうちに、思い出した場面がある。仕事で初めて遠藤さんに会った時のこと。なぜか奥さんの話題になった。「僕が拾ってもらったというか…。よく面倒を見てもらってます」と言い、少し照れくさそうだった。佐千江さんにそう伝えると、「聞けてよかったです!」と笑顔になった。
 遠藤さんが2016年に出版した本『理解フノ―』(港の人)を読むと、その半生は順風満帆ではなかったことが分かる。父の破産、両親の離婚。自身も経済的な理由で大学を中退し、若いころは「臨時雇用」で職を転々とした。マーケティングやプランナーの仕事に就き、大きなプロジェクトにも関わったが、バブル経済崩壊で無一文に。フリーライターを名乗ったのは、50歳を過ぎてからだ。
 風来坊を自称する遠藤さんは、「仕事も家庭もいつ投げ出すかわからない、無責任人生」と書いている。もの書きとして、内面に孤独や屈託を抱えていたのは確かだろう。けれど、自身が向き合うべき「食」というテーマに出会い、よきパートナーと愛情深い暮らしを全うすることができた。実り多い、幸せな人生だったと思う。もっと長生きをして、奥さん孝行をしてほしかった。
 (写真は南魚沼市の万盛庵店内。遠藤哲夫さんの妻、佐千江さん(右)とおかみの「エッチャン」。スキ♥を押していただくと、わが家の猫おかみ安吾ちゃんがお礼を言います。下記では、新潟県胎内市の胎内高原ワイナリーを紹介しています)

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