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記憶が消えていく

前回の記事で、自殺未遂した事について書きました。その後の記事です。

飲んだ薬の影響で3日間は他人の助けなしには真っ直ぐ歩けず、始終他人の世話になっていました。

ベッドのスプリングにすら足を取られるので、四日目以降も布団を踏んづけては別のベッドにダイブする始末…(ばか

「糀谷ー!おいでー!」「まってーいまいく!」
バフン
( ˊ̱˂˃ˋ̱ )タチアガリニクイ

大した自殺未遂ではなかったものの、家族からの反応は大きなものでした。
実は自殺未遂は3回目なのですが、隠してきたので家族から見れば初回。まあ、さもありなん、という感じではあります。

今も死にたいかと聞かれたら、というか楽に即死ねるボタンが目の前に置かれたら爆速でプッシュします。
希死念慮は頭に巣食っているから。


退院後のこと


退院後、しばらく姉の家にお世話になり、その後母と自分の家で1週間程度過ごしました。

姉の家ではほぼ何の問題もなかったのですが(姉と仲が良く、姉が私と母の間を取り持ってくれた影響が大きいです)

問題はその後でした。


母との日々


家に来るなり大掃除が始まり、
私の中の文律がどんどん乱されていって、
端的に言って辛かったです。

毎日苦しくて…
ただ、不思議なのですが、記憶がちょっとずつありません。
苦しかった記憶しかない。
触らないでほしいものに触られた記憶はある。
意味のわからない意地も張られたと思う。

姉の家の記憶も正直少ない。

病院での記憶の方がまだある。病院で目覚めて最後に着替えて、待合室にいったら姉がいた。

後遺症で記憶障害も多少あるのですが、
砂のように消えていくのですよ。
母といた時の記憶ばかりが。
何日間過ごしたっけ?3/1からだっけ。

断片的に思い出すことはできます。
あまりいい思い出じゃないな。

途中で彼氏と少しだけ2人きりで過ごした時の記憶は鮮明。

母の自殺観については私のそれと乖離しすぎているから…何も語りたくない。思い出そうと思えば思い出せる気がするけど、あまりそうしない方が良さそう。私の脳が私を守ろうとしている気がします。

「デブ」「こんな汚いところに彼氏を呼んでいたの?」「自分の罪を知れ」
あ、意外と覚えてんじゃん。
思い出すの、やめよう。

よくわかんないけど家のいろんなところからS字フックが見つかります。買ったんだな。
靴紐が漂白されていたのでお礼を言いました。
だるま柄の袋に入ったお菓子は、どこでなぜ私に買ってきたんだろう?ていうか誰宛?
拒否されたはずの贈り物が持って帰ってある。
買ってあげたはずのものが置いていかれてる。
被災時用のグッズはどこ?
私のお気に入りの洗濯機のマグネットはどこ?
私のお皿型の机の足が三脚とも折られているのはなぜ?

もうこの家にいるのが辛くて、飛び出してきました。今日は彼氏の家に泊まります。

彼氏を愛していないからデブになるらしいのですが、こういう時隣にいてほしい人を、愛しているとは言えないでしょうか?

糀谷でした。

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