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【第12章・槍と三尊石】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第十二章  槍と三尊石

 狩野吉之助が江戸での新生活を始めた頃、新見典膳は、近江(滋賀県)の米原にいた。

「こら、そこじゃない。もそっと右じゃ。石と石の関係をしっかり見んか」
「やかましい。くそ坊主、文句があるなら自分でやれ!」

 粉雪が舞う中、典膳は、上半身裸で大きな庭石に手を掛けた。顎から汗が滴り落ちる。

 琵琶湖の東岸に位置する米原は、現代では新幹線の停車駅が置かれ、東西の結節点としての役割を果たしているが、この時代はまだ小さな集落に過ぎない。ただ、中山道の番場宿から米原湊に抜ける間道が通ったことで、徐々にではあるが、交通量も増えていた。

 典膳は、半年ほど前から、米原のはずれにある禅寺・青厳院に身を寄せている。

 加納宿で道場破りをした後、中山道を西に向かっていたところ、番場宿の手前で腹痛に苦しんでいたこの寺の住職を助けたのがきっかけであった。

 その住職、恒山禅師という。青厳院は、豊臣期、佐和山を居城とする石田治部少輔の庇護下にあった。しかし、関ヶ原の戦いで石田家が敗亡すると、住職以下、蜘蛛の子を散らすように消えてしまった。以来、廃寺同然。曹洞宗の大本山が、新たな住職として恒山を派遣してきたのは、わずか一年前である。

 恒山は、口は悪いが妙な愛嬌があり、典膳も不思議と心を許した。久しぶりに安眠できる環境もありがたく、しばらく滞在して荒れ果てた伽藍の修復作業を手伝わないか、と提案されたときも、進んで受けた。
 そして、ひと月ほど経ったときである。典膳が腹を括って、恒山に父・新見正信が遺した文書類を見せると、学究肌の禅僧は大いに興味を示し、解読を引き受けてくれた。

 その日、四つ(ほぼ午前十時)の鐘を自ら撞いた後、恒山が方丈で独座していると、村人が喚きながら駆け込んで来た。
「和尚さん、大変だ!」
「こら、何度言えば分かるんじゃ。ここは禅寺、わしは和尚ではない。老師と呼べ」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇ。田上一家の用心棒が、うわっ、来ちまった」

「頼もう!」
「何じゃ?」
「ここの住職殿か。坊主殺しとは気が進まんが、田上の親方には一宿一飯の恩義があるのでな。済まんが、お命、頂戴する」

 すると、方丈の前庭の奥、三つ並んだ大きな庭石の陰から呆れ顔の典膳が出て来た。
「なんだぁ? 偉そうなことを言っていた割には、結局、説得できなかったのか」

 江戸時代、市民生活に密着した公共事業は、土地の篤志家が自腹で始めることが多かった。番場宿から米原湊までの間道整備もそれである。
 ところが、交通量が次第に増えるのを見て、番場宿の顔役・田上屋惣助が、間道の管理権を横取りしようと、彦根藩の重役に運動し始めた。そこで、近隣の村々から頼まれ、三日前、恒山が話し合いに向かったのだ。

「道理を説いても、判らぬ奴には判らぬ」
「坊主がそれを言うか。で、俺の助けが必要か」
「見て分からんか」

 典膳はもろ肌脱ぎになっていた衣服を直すと、反りの深い大刀を取って浪人風の男に対峙した。
「甲州浪人・新見典膳」
「私は、元赤穂、いや、素浪人・不破数右衛門と申す」

 不破と名乗ったその男、着物は粗末だが、引き締まった肉体に尖った顎、全身が鋭利な刃物のような印象だ。彼は、槍遣いであった。

 槍との初対戦。九尺(約二メートル七十三センチメートル)ほどか。ともかく、間合いを詰めて中に入れば勝てる。子供でも分かる道理だ。しかし、やや下段に構えられた槍の穂先に、完全に典膳の出足は制せられていた。

 攻撃のために槍を引いた瞬間を狙うしかあるまい、と思った矢先、相手がわずかに腰を落とし、下半身の動きだけで突いてきた。

 ぐん、と伸びてきた穂先が太腿をかする。典膳は堪らず、大きく跳び退いた。しかし、相手は逃がさぬとばかり、二度、三度と突いてくる。

 三度目の突きが少し低かったので、反射的に地面に踏み付けた。しかし、下には白砂が敷き詰めてある。踏んだ槍は、するりと抜けてしまった。

 方丈の前庭は、枯山水である。

 バランスのよい長方形に白砂を敷き詰め、砂紋を直線に引く。潔いほどシンプルな空間。一方、背景には趣がある。時代感のある土壁と白砂の間に畳一枚分のスペースを取り、苔を貼り、十数個の庭石を不規則に配置。その石組は、ひとつひとつを仏の姿に見る者もおれば、全体として山並みや岩礁と取る者もいるだろう。中に、特に目立つ三つの巨石があった。

 不破の四度目の突きを避けた後、典膳は自然な流れでその三つ石を背にした。五度目の突きが来る。典膳がひらりと躱す。すると、槍が、並んだ石と石の間に入った。

 典膳は、得たり、と槍の中程を石の側面に押し付けるように強く踏んだ。今度は、不破が引いても槍は動かない。そこで典膳が、強烈な水平斬撃を繰り出した。
 普通であれば、相手は胴を真っ二つに割られていたであろう。しかし、不破は、躊躇なく槍を手放し、典膳の刃を躱しながら、脇差を抜き放つ。それを見て、典膳が、第二の斬撃を見舞う。

 不破は、典膳のパワーに圧倒されるばかりだったこれまでの対戦相手とは違う。彼は、器用に脇差に角度を付け、典膳の刃を受け流した。それにより、態勢を崩したのは、むしろ典膳の方であった。

 ただ、典膳も足腰は強い。左足一本で体を支え、かろうじて転倒を避けた。そして、少し下がって構え直す。その間に不破は素早く槍を拾う。二人は、再び向かい合い、にらみ合った。

 そこに恒山禅師の怒声が響く。
「馬鹿もん! 三尊石は御仏の象徴ぞ。それを槍受けにする奴がいるか。あまつさえ、足蹴にするとは、この罰当たりめ!」
「知るか! こっちも必死なんだ。だいたい、俺が負けたら、あんたもこ奴の槍で串刺しにされるんだぞ。黙って見てろ!」

 このやり取りに、不破がわずかに表情を緩める。恒山はそれを見逃さない。今度は、にらみ合う二人に向かって静かに語りかけた。
「もうよい。お前たち、その辺にしておけ。本当にどちらか死ぬぞ」

「しかし、私は・・・」
 やくざまがいの町人相手とは言え、約束は約束である。不破が主家をしくじったのは、その偏屈なまでの義理堅さが根底にあった。躊躇する不破を恒山が重ねて諭す。
「その面構え、その槍さばき、ただの食い詰め浪人とも思えぬ。そなたも侍なら、命の懸けどきを見誤るでない。後はわしが何とかする。そなたは、このまま去るがよい」

 すると、不破は槍を引き、居住まいを正して恒山に一礼した。そして、典膳に向い直し、一度きっちり目を合わせた後、鋭く会釈して駆け去って行った。

「で、どうするんだ?」と典膳。
「仕方ない。彦根の藩庁と話を付けよう」
「伝手はあるのか」
「実はな、死んだ親父は藩の重役を務めておった。彦根には親類もおる」
「あんたがここの住職に選ばれたのは、そのせいか」
「まあな。しかし、本来、寺は独立独歩でなくてはならん。それで今まで連絡を取っておらなんだが、こうなれば仕方ない。ただ、そうなると・・・」

「妙な浪人が寺におっては不味いか。よかろう。いい潮だ。俺も退散するよ」
「そうか。待っておれ、あれを持ってくる」

 しばらくして、恒山が方丈に戻ると、身軽な典膳は、すでに旅装になっていた。恒山が風呂敷包みを典膳に渡す。
「で、解読は済んだのか」
「粗方な。読みにくい部分は、読み下しを朱で脇に書き込んでおいた。甲府の殿様の出自については、悪意に取れば怪しいと言えなくもないが、その程度じゃ。面白いのは、むしろ、隠し金山の方じゃな。これは本当にあるかもしれんぞ。ただ、お主の親父殿が遺した書類だけでは、場所の特定までは無理じゃ。別に補完する資料があると思うんじゃがのう」
「なるほど」

「それで、これからどうする?」と、今度は恒山が尋ねた。
「どうする、とは?」
「考えておらんのか。大きく分けて二つの道があると思うぞ」
「二つ?」
「ああ。ひとつは、比較的簡単な道じゃ。すなわち、これを甲府藩に持ち込む。欠けた部分があるとは言え、間違いなく、これは藩の機密に関わる文書じゃ。これを手土産にすれば、帰参が叶うかもしれん」

 典膳は、台ヶ原で庄屋一家を斬殺してきたことを恒山に話していない。しかし、彼のしかめっ面は、帰参などあり得ぬ、と伝えるには十分であった。
「ならば、買い取らせるか。千両とは言わぬが、百両や二百両は取れるだろう」
「ははは、坊主が強請を唆すか。それが二つ目か」

「違う。二つ目は別じゃ。もっと物騒な道じゃ。甲府の殿様は、確か、将軍の甥だったな」
「ああ」
「今の将軍には世継ぎたる男子がいない。恐らく、跡目を巡って、何らかの争いがあるに違いない」
「そうか。甲府藩の敵側に持ち込めばいいのか」
「そうじゃ。千代田のお城と言えば、魑魅魍魎の巣。こうした物を上手く使う奴もいよう。しかしな、使いようによっては、天下大乱となるやもしれぬぞ」
「ふん、面白い。望むところだ。世話になった。達者でな」

「ああ、待て。まったく、せっかちな奴じゃ。これも持って行け」
「何だ?」
「紹介状じゃ」
「紹介状?」
「これを持ってな、まずは大和の国(奈良県)、柳生の里に行け。そこに、永平寺で共に修行した兄弟子がおる。禅寺はひとつしかない故、行けば分かる。これを見せれば、柳生の道場で修行できるよう、口を利いてくれるじゃろう」
「柳生か」
「そうじゃ。お主は強い。しかしな、先程の奴を見ても分かる通り、天下は広いぞ。上には上がおる。必ずおる。お主は一度、こてんぱんに打ち据えられるくらいの経験をしておいた方がよい。この後、何をするにせよ、な」

 典膳は返事をせず、黙って立ち上がると、方丈から庭を見た。今朝整えた砂紋は、先程の立ち合いで台無しだ。しかし、奥の石組に目を転じれば、半年前に比べて見違えるほどの景色を成している。春になり、苔の緑が鮮やかさを増せば、さらに良くなるだろう。

 生まれて初めて、意義あることをした、と思った。

 その背に向かって恒山禅師が言う。
「よいか典膳。人の一生、運不運は確かにある。しかし、それを言っても始まらん。己の一生は己次第。なすもよし、なさぬもよし。生きたいように生きよ。ただし、懸命に、ひたむきにじゃ」

「ああ、言われずともそうする。さらばだ」

 再び粉雪が舞い始めた中、新見典膳は、一路柳生の里を目指す。江戸の吉之助同様、彼の人生もまた、新たな段階に入って行く。

次章に続く

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