見出し画像

レールに乗った人生〜クソの役には立っていた〜

私の辿ってきた道を簡単に言えば、レールに乗った人生である。小、中、高卒業し、浪人せず薬学部に入り、留年せず卒業し、薬剤師国家試験も1回で合格した。しかし、数年前まではそういう自分を認めながらも、自己否定も強く不安定だった。

子供の頃は集団生活に居心地の悪さを強く感じながらも、何とか順応するよう自分に言い聞かせて学校に通ってきた。6歳下の弟は小学校高学年から不登校になった。彼は大人の世界の様々な矛盾に気付き、目覚めるのが早かったタイプだ。私は弟が感じていることに同感しながらも、自分が感じていた違和感を弟のように言語化できなかったこと、自分はのうのうと学校に通いとおした事に対して、どこか裏切っているような、外れるのが怖い意気地なしのような、劣等感がずっと付いて回っていた。

しかし、自分には何かを表現する才能もなく、将来自分の収入で子育てが出来る資格を取ると中学2年で決めたので、それだけは曲げずに薬剤師になった。そんな中でも大学在学中は、カウンターレディのバイトをしたり、社会人と付き合ったり、飲み屋に一人で通ったりとレール以外の世界も見ようともがいていたように思える。

結婚した相手は高卒だった。彼は私よりもずっと外交的で、わりと雑学的な事を多く知っていた。自分にどこか否定的だった私は「大学出てもクソの役にも立たないよ」と彼に言っていた。私はいわゆる”抜けている”ところが多く、世間様の常識も知らないことが多かったので、彼は私のそういうところを見つけると「大学出でもそんなにバカなの?」とからかっていた。

子育てをしながらひたすら働き、私の収入は順調に上がっていた。プライベートも仕事も目の前の事をこなすのに一杯一杯で、時々壊れそうになりながら、ある時ふと気づいた。~長女の高額な習い事のバレエに、何とか費用を捻出できているのは、もしかして私が大学を出て薬剤師になったことが役に立ってる?もしかしてクソの役に立ってるじゃん!~

それから色々なことに気づきを得た私は、自分を認めることが出来た。今思うに劣等感を抱くべきは、レールに乗った人生ではなく、自分自身と向き合うのをずっと先延ばしにしていた事、に対してだ。

そして昨年離婚し、中学2年で考えていた事が現実となった。娘たちは中学生と高校生。子育てのために薬剤師になった私は、自分と向き合い、子育てが終わった未来像を想像している。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?