見出し画像

またあの世界に沈みたい

小学生の頃、とにかく本を読んでいた。二時間目のあとの長い休憩時間も、昼休憩も、授業の合間でさえも。一行でも読み進められる時間があるのなら、いつでも本を開いていたかった。

『ぞくぞく村のおばけシリーズ』や『ミルキー杉山のあなたも名探偵』、それから『名探偵夢水清志郎事件ノート』。図書室に入るといつも好きなシリーズの棚にまっすぐに向かって、まだ読んだことのないものがあるかどうかを探していた。まだつややかな装備の新刊を見つけたときのわくわくは今でも鮮やかで、誰も記入していない貸出カードに名前を書くときは、こどもながらちょっぴり優越感に浸ったことを覚えている。

本は、私を不思議な町の住人にも、名探偵と仲良しの三姉妹の末っ子にもしてくれた。いつでもどこでも、ぱたりと本を開くだけでここではない世界に入り込めるのだ。そういえば、給食の配膳を終えて「いただきます」を待つ間に本を読んでいて、気づけばみんなが給食を食べ始めていたこともあった。かちゃかちゃと食器が触れ合う音ではっと気づいて、顔がぱっと熱くなる。三十数人がぱちんと手を合わせる音も、大きな声での「いただきます」も聞こえないほど、気づけば私は「遠く」に行っていた。

きっとあの頃の私は、沈み込むように本を読んでいた。まるでプールの底めがけて潜るように、大きく息を吸って、ざぶんとその世界に入り込む。耳の中には水がこぽこぽと流れ込んで、外の世界の音をぼんやりと遮断する。

潜り込んだ先にあるのは、きらめくような世界だった。プールの底に映る水面のゆらめきも、空中よりもゆったりと舞う落ち葉も、潜った人にしか分からない。視界がぼやけていたって、ぎゅっと目を開けていれば、底に敷かれたくっきりとした色が行き先を教えてくれるのも心強かった。

けれど、最近そんな読み方が出来ていない。図書館で借りた本は返却期限が近づいて焦って読んでいるし、電車の中で本を読んでいても頭のどこかでは降りる駅のことを考えている。息を吸って潜り込んだはずが、他の世界に迷い込んでいることもしばしばで、気づけば船を漕いでいる。はっと気づくと文庫本のページはぱらぱらとめくれていて、どこまで行ったのか分からなくなってしまっている。

それでも懲りずに、図書館で、本屋で、本を手に取る自分がいる。スケジュール帳のメモ欄に書いている読みたい本リストにも、100冊以上のタイトルがある。まだまだこんなに。そう思うと、怯んでなんていられない。

もしもまた、沈み込むように読めたなら。

あの頃知った、透き通るような世界を思い出す。きっと今なら、もっとたくさんのものが見えるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?